三省 その2 〔千の99〕
13 年前の月刊誌「致知」の 7 月号に、「反省ある日々をおくる」と題する、京セラ名誉会長の稲盛 和夫さんのコラムがありました。前回のコラムは「三省」でしたから、「省」についてまた別の角度からの視点がありましたので、この辺りの事を学ぶことにします。
*私は洗面するときに、猛烈な自省の念が沸き起こってくることがあります。例えば、前日の言動が自分勝手で納得できないときに、「バカモンが !」などと、鏡に映る自分自身を責め立てる言葉がつい口をついて出てくるのです。最近では、朝の洗面時だけでなく、自宅やホテルの部屋に戻り、寝ようとするときに、思わず「神様、ごめん」という「反省」の言葉が自分の口から飛び出してきます。
「ごめん」とは、自分の態度を謝罪したいという素直な気持ちと共に、至らない自分の許しを創造主に請いたいという私の思いを表しています。このことを私は、自分自身の「良心」が、利己的な自分を責め立てているのだと理解しています。・・・ここまでは稲盛さんの言葉ですが、すごいですね。企業を起こし、大企業に成長させ、グループで何万人かの雇用を実現させ、人と製品を通して世のため人のために貢献している方が、「反省ある日々をおくる」という生活姿勢なのです。
*「反省」をするということは、そのように、ともすれば利己で満たされがちな心を、浄化しようとすることです。私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、利己的な思いを少しでも抑えることができれば、心の中には人間が本来持っているはずの美しい「利他」の心が現れてくると考えています。人間の本性とはもともと美しいものです。「愛と誠と調和」に満ち、また「真・善・美」、あるいは「良心」です。人間は「反省」をすることで、この本来もっている美しい心を開花させることができるのです。私自身を含め、人間は誰しも完璧でありえず、時には間違いを引き起こしてしまいます。しかし、そのたびに素直に「反省」し、再び同じ誤りをしないように懸命に努めていく、その日々の繰り返しが少しづつ人間性を高めてくれるのではないでしょうか。・・・前回のコラム「吾日に我が身を三省す」という論語の教えに通じるわけですが、稲盛さんの言葉にして、説得力があり感動するところです。先哲の生き様をまねたいものと思います。
*私のコラムも残すところ後一回です。設計事務所を経営してきまして、振り返って言えることは、デザイン力、技術力が上達しても、制度方法を論じても、その人にあらざれば行われ難し、ということです。『あらゆる仕事・事業は人物に尽きる。担当する人間の人物いかんが仕事・事業の盛衰を決める。事業は人業〔じんぎょう〕といわれる所以。
私が役員・社員に「人物を磨け、人物を創れ」と言ってきたのはここにあるのです。』・・・多くの先哲が伝えてくれることに、「天下の本は国にあり、国の本は家にあり、家の本は自分自身にある」とありますが、社業を充実させて「世のため人のために尽くそう」とするならば、人を第一の玉〔宝〕として位置づけ、「玉は磨いてこそ器になるし、人は練磨によりて仁となる」と、私は思うのですが、理解いただけるでしょうか。
*来週は「株式会社 日比野設計」の設立記念日〔7 月 13 日〕のある週です。来週のコラム〔千の100〕で、最後にいたしますが、何を書くかはすでに決めています。また読んでください。
ありがとうございました。
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- 15:54
- comments(2)
- by 日比野満
千日回峰行も最後の一難行を迎えることになりましたね。
先輩の日々心を「お堂入りさせる悟り」は何処にあったのでしょうか?
想像を絶する自己鍛錬は本当に力強い精神力を持ち合わせないと、ゴール出来るものでは有りません。加えて、そのゴールを目の前にして「反省」=「利己で満たされがちな心の浄化」で締めくくる。
この締めくくりは先輩の様に徳を積んだ人間で無いと想像すら出来ない事と思います。先の997号(?)では、舛添要一の姪(実姉の娘)真実なる文章を長くなるのでPCメールに送信しましたが、私は「自らを戒め、私利私欲を捨て去ることが出来ないのもまた、人間ではないか」と感じています。
これまで勉強(人生修行)させて頂き誠にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
千日荒行、最後のコラム楽しみにしてます。