建築を通して社会のお役に立とうと、昭和 47 年に起業したわけですが、一人や数人では、現代の経済社会に充実した質の高い建築の成果を、スピード感を持って貢献できないと、当時から痛感していたのです。多くの人の力を必要と思い徐々に社員を増やしてきましたが、同時に、同じ方向を目指す人材〔財〕育成こそが、社会のお役に立つためには何より大切であると気が付き、創業 30 年を過ぎたころからコラムを書くことを始めたのです。
お客様の満足と社会のお役に立つことを目標に掲げ達成するには、デザイン力、技術力を向上させることと併行して、役員・社員が「徳を積み」、「徳で物事を治められるように成る」ことが大切ではないか。それは、「人物を磨くことと、人物を創ること」が、原点であり、そういう歩み方に期待と願いを込めた、社員に毎週読んでいただくコラムだったのです。言わば、社員に向かっての私のメッセージでした。
そういうコラムを毎週書くとなりますと、私自身が息切れ、ネタ切れになりますし、社員を育てようと思えば先に自ら学ぶことだと気が付いたのです。結果としてコラムを書くことが、ありがたいことに、社員と自分も共に育つことだと思うようになりました。ここから、何事も「一事一貫」とか「コツコツ」ということを、実践することができました。
*想えば、日比野設計は昭和 47 年 1 月 4 日に、決意も新たに厚木市戸室のアパートの一室で個人創業したのです。この年の 7 月 13 日が、法務局に株式会社設立を届けたわけで、法人化した創立記念日です。
数年前からコラムの書き止めを意識していましたが、目標を千の 100 回と決めました。おかげさまで、創立記念日の週に最終回となりましたのは偶然性もありますが、昨年あたりから概ね計算もしていました。マラソンを走り抜いた気持ちですが、多くの方々に激励をいただいたから達成できました。今、心から皆様に感謝し、感激しているところです。
*私の好きな、『10 年偉大なり、20 年畏るべし、30 年歴史になる』という、鍵山 秀三郎さんの言葉があります。これは、個人にも法人にも、持続と言う大切なことを教えてくれています。
個人においては趣味でも仕事でも、一つ決めたらやり続けることが何より大切であるわけで、まず、10 年続いたら確かに偉大ですよ。20 年続いたら、畏るべしとは、畏敬の念を表しているのです。これぐらい続いている人は、何かをつかんでいる人で、周りから一目も二目もおかれている人だと思います。
3 年前の月刊誌「致知」に、編集長がこんなことを書いていました。『以前こういう話を聞いた。ある人が地方都市に旅行し、市役所の人に古くからある神社を案内してもらった。その神社は 50 年前に修復を行い、百の会社が協賛、寄付をしてくれた。さて、50 年経ったいま、そのうち何社が残っていると思われますか、と、市役所の人に質問された。読者の皆さんはどう答えるであろう。残ったのはたった一社である。それも業態を変えて残ったのである。では百年後に生き残れるのはどれくらいか。千社のうち二、三社が定説である。』・・・この類の話はよく聴く話で、起業した法人が 10 ~20 年で半分以上が廃業しているのは事実のようです。
法人の持続は、企業価値を高め、社会に必要とされているか。人材が育っているか。財務内容が充実しているか。などで、30 年以上となれば歴史になるとは、なるほど当然です。
日比野設計も多くのお客様によるご支援、社員の皆様の努力、建材メーカーや工務店の皆様のご協力で、創業 45 周年になりました。謙虚な気持ちで、少しだけ褒めていただいても良いかなと思っています。
*その点で、すでにコラム〔千の68〕「サスティナブル」でも書きましたが、企業価値を高め持続的成長をさせることが私の目標でもありましたから、「学びて習う」として復習しておきます。
*持続的成長〔サスティナブル〕について、『社会的な課題に企業もきちんと対応しなければ、サスティナブルではない。今はそういう時代に入っていると思う。ただし、そのことに気が付いていない企業もまだまだ多いのが現実です。社会的な課題はビジネスにとってはニーズです。社会的な課題にきちんと対応し、早期に解決していくことで、新たな需要、新たな経済活動、新たな産業を創出していくことができます。そういう意味では社会的課題をいち早くとらえ、課題解決に真剣に取り組むことは、企業にとって生き残るために必要なことなのです。』・・・元東大総長で三菱総研理事長の小宮山 宏氏の話ですが、私は見事な見識だと感動しています。これは何十年経っても企業の持続的成長に必要な先見性として、言い当てていると思います。
*今年の 6 月 20 日の日本経済新聞の記事で、テニス仲間が日比野さんの求めてきたことと同じでしょうと、親切にも切り抜きを渡してくれました。
「経営の要諦」と題して、丸紅会長の朝田 照男氏のコラムの要約は、『経営のミッションとは、持続的成長を通じて企業価値を高め、全てのステークホルダーに報いることだと私は思っている。会社が発展・成長し、繁栄するために必要なことは何だろうか。風通しの良い組織の下に、如何に多くの社員がモチベーションを高め、自由闊達にやる気をもって行動するかではないだろうか。会社の繁栄とは、如何に多くのキラキラと輝く社員と、会社をより良くしたいという思いを共有するかだ。勿論、従業員を動かすには社長の強いリーダーシップが必要だ。しかし組織が大きくなればなるほど、社長一人だけでは組織は動かない。』・・・正に私の求めてきたことで、「経営の要諦」は人だ ! とする定義は、会社の大小を問わず最も大切なことと、大いに賛同するところです。
*最後に書きたいことは、冒頭で書きました「徳を積む」「徳で治める」ということです。千 100 回のコラムで一番多く書いたことはやはり「徳」のことでした。
・07-09-08 ・〔第219回〕・「徳と集団」
・07-10-07 ・〔第233回〕・「母の徳」
・08-03-19 ・〔第314回〕・「徳は得なり」
・09-03-20 ・〔第462回〕・「徳と人物」
・11-04-16 ・〔第712回〕・「徳に基づき」
・14-11-08 ・〔第999回〕・「人に長たる者の人間学・・その3」
・15-02-22 ・〔千の16〕 ・「徳は得なり」 ・・・以上 7 回書いています。
*「徳」とは中国では古来から「仁」「義」「礼」という三つの言葉で表していました。
・「仁」とは、他を慈しむこと。・・「恕・じよ」を含めて。
・「義」とは、道理に敵うこと。・・「公私混同」しないことを含めてやっぱり正義です。
・「礼」とは、礼節をわきまえていること。・・親・兄弟姉妹・恩師・友人・先輩・後輩・お客様など関わる方々全てに。
*〔第462回〕で書いたことですが、『若い方々にはまず、ご両親の「徳」に触れ、親孝行として「徳」のお返しをしてほしいと思います。これは「心」であり、「心」のある温かい言葉から始まるのです。建築を志す者、職業として歩み出した者、「徳」の何たるかを「知る・感じる」ことが成長の証となると思います。感性を磨いていけば、お客様の「徳」に触れ、感動をいただくことが多くなり、最高の人生を歩めることになると思います。』・・・やっぱり人生は「徳は得なり」に尽きると役員・社員に伝えたいのです。
*経営はトップの器で決まる・・・『〔第712回〕で書いたことですが、「企業経営においても、長く繁栄を続ける企業をつくりあげていこうとするなら、「徳」で治めていくしか道はない」と、稲盛 和夫さんの言葉を引用しています。これを言い換えれば、経営者は人間としての器、自分の人間性、哲学、考え方、人格を磨けということですが、確かに会社経営者でも、政治家でも少しばかりの成功で謙虚さを失い傲岸不遜、私利私欲の追及に走ることで、せっかく手にした成功を失っているケースがままあります。いまこそ、賢人達の知恵に学び、「徳」ということの大切さを理解することが大切です。』・・・その通り、会社の経営はトップと経営陣の器で決まるのは当然です。
*建築家は一代ですが、会社は何代も何年も持続させねばならぬとする考え方が、私の経営哲学でした。自分の気力体力の衰えが、会社の衰えと同じ下降線を辿るようでは、お客様に対して、社会に対して、働いている社員達に失礼であり申し訳ないことで、そのためには、常に魅力ある会社として持続が必要です。それは、「徳のある社員集団が社会的課題に挑戦を続ける」「過去・現在・未来につながるお客様や社会との連携」「安定した財務内容」などが、企業価値で、いつの時代でも有能な者に経営のバトンを渡せる、これが「持続的成長」する会社だと考えます。日比野設計は創業時代から「未来を創る」と指針を掲げました。それは「お客様の未来を創る」であり、「社員の未来を創る」ことなのです。今後の「持続的成長」のために、この指針の持続を期待します。
*7 月 8 日〔金〕午後 7 時・藤沢市民会館大ホールにて、デビュー 30 周年のフルートの山形 由美と、スイスはローザンヌの室内オーケストラ「カメラータ・ド・ローザンヌ」の共演があり、妻と娘が招待してくれました。私のコラムが千願を達成した内輪の祝いをしてくれました。ありがたいことです。
最後のコラムを書き上げ閉じようとしていましたら、昨年の入賞に続き今年も、「2016・キッズデザイン賞」に 6 件のプロジェクトが入賞したとの報告がありました。「幼児の城」ブログをご覧ください。これらの業務は私の引退した後の仕事で、新しい役員であるチーフやそのスタッフ達が取り組んだ成果であり、快挙です。確実に弊社の人員が成長している一つの証で、大変うれしく思っています。今週は創立記念日を祝うことと、新しい「幼児の城」7 号の出版を祝う行事があり、花を添えることになりました。
長い間読んでくれまして、ありがとうございました。最後にまた硬い話になりましたこと、恐縮です。多くのお客様、社員の皆様、建材メーカーや工務店の皆様に、心から感謝し、お礼を申し上げます。法人、個人の皆々様が、「健体康心」であり、繁栄が持続することを祈ります。今後の日比野設計を見届けくださり、ご支援のほどよろしくお願いいたします。・・・日比野 満コラム・完
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*私は洗面するときに、猛烈な自省の念が沸き起こってくることがあります。例えば、前日の言動が自分勝手で納得できないときに、「バカモンが !」などと、鏡に映る自分自身を責め立てる言葉がつい口をついて出てくるのです。最近では、朝の洗面時だけでなく、自宅やホテルの部屋に戻り、寝ようとするときに、思わず「神様、ごめん」という「反省」の言葉が自分の口から飛び出してきます。
「ごめん」とは、自分の態度を謝罪したいという素直な気持ちと共に、至らない自分の許しを創造主に請いたいという私の思いを表しています。このことを私は、自分自身の「良心」が、利己的な自分を責め立てているのだと理解しています。・・・ここまでは稲盛さんの言葉ですが、すごいですね。企業を起こし、大企業に成長させ、グループで何万人かの雇用を実現させ、人と製品を通して世のため人のために貢献している方が、「反省ある日々をおくる」という生活姿勢なのです。
*「反省」をするということは、そのように、ともすれば利己で満たされがちな心を、浄化しようとすることです。私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、利己的な思いを少しでも抑えることができれば、心の中には人間が本来持っているはずの美しい「利他」の心が現れてくると考えています。人間の本性とはもともと美しいものです。「愛と誠と調和」に満ち、また「真・善・美」、あるいは「良心」です。人間は「反省」をすることで、この本来もっている美しい心を開花させることができるのです。私自身を含め、人間は誰しも完璧でありえず、時には間違いを引き起こしてしまいます。しかし、そのたびに素直に「反省」し、再び同じ誤りをしないように懸命に努めていく、その日々の繰り返しが少しづつ人間性を高めてくれるのではないでしょうか。・・・前回のコラム「吾日に我が身を三省す」という論語の教えに通じるわけですが、稲盛さんの言葉にして、説得力があり感動するところです。先哲の生き様をまねたいものと思います。
*私のコラムも残すところ後一回です。設計事務所を経営してきまして、振り返って言えることは、デザイン力、技術力が上達しても、制度方法を論じても、その人にあらざれば行われ難し、ということです。『あらゆる仕事・事業は人物に尽きる。担当する人間の人物いかんが仕事・事業の盛衰を決める。事業は人業〔じんぎょう〕といわれる所以。
私が役員・社員に「人物を磨け、人物を創れ」と言ってきたのはここにあるのです。』・・・多くの先哲が伝えてくれることに、「天下の本は国にあり、国の本は家にあり、家の本は自分自身にある」とありますが、社業を充実させて「世のため人のために尽くそう」とするならば、人を第一の玉〔宝〕として位置づけ、「玉は磨いてこそ器になるし、人は練磨によりて仁となる」と、私は思うのですが、理解いただけるでしょうか。
*来週は「株式会社 日比野設計」の設立記念日〔7 月 13 日〕のある週です。来週のコラム〔千の100〕で、最後にいたしますが、何を書くかはすでに決めています。また読んでください。
ありがとうございました。
]]>世界の経済はつながっているとは承知をしていましたが、日本株式や米国株式、ドイツ、フランスなどの株式が負の連鎖暴落となり、日本経済新聞が試算した報道によれば、世界の株式価値が24時間で、330 兆円ほど失ったとのこと、日本株式の下落幅では、戦後では 10 番目とか、驚きです。さて、株式市場を開設する世界の国々でどの国が立ち直りが早いか注目です。
*さて、前回のコラムの最後に「省・かえりみる」ことが何よりも大切であると書きましたが、月刊誌「致知」の 7 月号が届き、論語普及会学監・伊與田 覺先生の、「吾日に吾が身を三省す」と題しての小論文がありましたので、要点を書いてみます。
*「吾日に吾が身を三省す」とは、孔子の弟子・曽子の言葉で、「私は毎日自分を三省、つまり度々省みている」というわけです。「省」というのは振り返って反省するというだけでは十分ではなく、良いところは残し、悪いところは省いていくことが大切である。省みるだけで、省くという行動が無ければ 50 点にしか達しないとのこと。これ、「不易流行」に通じるわけです。孔子の時代と芭蕉の時代では 2 千年も隔たりがありますが、道の極意は時代を超えても共通のようです。
*さて、日本の明治時代に新政府が国の役所に「省」を付けまして、現在まで普通で自然なこととして使われています。例えば、国土交通省、文部科学省など、「省」の字がついているのも、省くという意味合いが込められており、社会の発展に従い物事が複雑になっていくのを省いていくことが大きな役割の一つともいわれています。一度決まったことや昔からあるものを、変えたり無くしたりするのは容易なことではありませんが、役所も会社もそして個人も、守るものは守り、省くものは省くという意識を常に忘れてはならないと思います。
*想えば、近代建築の歴史においても、装飾主義から機能主義へと変わってきましたが、現代建築は意匠・構造・設備など、新技術や新建材を含めて、総合コストを読みながら、人々に必要なものと、不必要なもの「省く」を、見極めながら使いやすくて美しい建築を構成するのが専門家及び専門家集団の大きな役割だと思っています。
*前回のコラム「利より信・・・省みる」に、二つ加える論語があり、一つは先の教育講演会の石川理恵子さんの「女子の武士道」の中にも引用されていました。子曰く、『利によりて行えば、怨み多し』: 孔子が、利益ばかりを考えて行動したら、人の恨みを受けることが多い、と教えてくれています。
もう一つは、子曰く、『君子は義に諭〔さと〕り、小人は利に諭る』: 孔子が、君子はいかにして正義を行うかを考え、小人はいかにして、利益を得るか、儲かるかを考える。「義」とは、正しいということ、道にかなっているということ、と教えてくれています。
ありがとうございました。
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*皮肉な見方をすれば、日本は民主社会であることを証明したわけで、1300 万人の代表である都知事を、都民の声を伝えるマスコミの連日の報道と、都民の代表である都議会の追及によって辞職させたのです。
*それにしましても、「セコイ」という言葉を国際語にしてしまったのはこれも皮肉なことで、「公私混同」なる生活姿勢は「身から出た錆」で、これに説明責任を果たせず、都民の 90 %が辞職してほしいという街頭アンケートの通りになりました。
*ここ何回かのコラムで、孔子の言葉である「無信不立」について書きましたが、同じ趣旨で 2015-02-15 に、〔千の14〕「利より信」を書いています。『「利より信」を選べば、世間が応援する。・・「信」はこの世において人の最高の財である。・・「徳」を実行したならば、幸せをもたらす。・・「信」こそ、この世を渡る貨幣である。・・「信」無き会社はたちまち潰れる。「信」を失った組織はすぐに崩れ去る。・・これが人の法則であることを、次の世代の人達と子ども達に伝えたい。特に会社の経営者や政治に携わる人達、そして公務員は「利より信」を選ぶ勇気を「人生の戒」としてこれを持つようにしてほしい。』と書きましたが、これは高木書房出版・北川八郎著「あなたを苦から救うお釈迦さまのことば」の中にある名言です。
*納税している都民の誰しもが、知事は「セコイ」よ ! と、言うのは当然です。私生活の用品あれもこれもの数々が公金で処理する姿勢は驚きで、空港で買った中国服や趣味の美術品や文房具などに私は大変驚きました。また、高額な豪華海外出張が大名旅行風で、ファストクラスやホテルのスイートルームなど、都民の生活感覚から大きく乖離しているわけで、これは驕りです。かって成功者であった政治家や会社経営者、プロスポーツの勝利者などが失脚する時、下降線をたどり始める時は、決まって驕りから始まっていると、先人の教えてくれるところですが、過去の私のコラムでも何回か書いてきたことです。
*舛添 知事の辞職の言葉が「私の不徳のいたすところ」とありましたが、最後に「徳」が無かったとか、「信」が無かったと、気がついたわけで、「徳」とか「信」とかは、頭の良し悪しとか学校教育の勉強とは違うところにあるのでしょうか、舛添さんは東大で学び東大の准教授にもなり、それも政治学を修めた人なのです。政治学というのは何を学ぶのでしょうか、与野党の駆け引きや政治資金の使い方を学ぶのでしょうか、「政治は民のためにある」「より多くの人々が幸せになるために政治がある」と、思うのは私ばかりでしょうか。残念・無念というところです。
2015-02-22に、〔千の16〕「徳は得なり」でも書きましたが、私の千篇のコラムの基本的な心は、役員・社員、皆で「徳」を身につけよう、人間力を磨こうとする学びのためで、今後も社会の出来事から「省・かえりみる」ことにより、私も役員・社員の一人ひとりは、まだまだ道半ばだという意識で歩みたいものと思います。
ありがとうございました。
]]>例えば、まず「人は必ず死ぬ」とか「人間の幸福」という視点。 次は「自分の人生は自分しか生きられない」ということ。 第三は「人生は一回限りである」ということは、再演することができないこと。 第四は「この悠久の宇宙において自分という存在はたった一人しかいない」ということは、過去にも未来にも自分と同じ人間は生まれていないし、これからも生まれてこない。・・・こんな視点で毎月人間力豊かな有識者を登場させて語らせています。苦労して苦労を重ねて他人様に語れる人生になったという人物は、皆それなりになるほどという「人生の道しるべ」を持っています。
*こうした先人・偉人の作品・図案、文章、研究結果、商品などはそっくりまねてはいけませんが、こうしたものが生れてきた努力の過程や生き様はまねるべきかと思います。それが「学びて習う」という世界で、やがて独自の道が開かれてくると思います。そういう意味で内外の先人・偉人やその歴史に学ぶことは大切です。私はそうした先人・偉人の伝記やドラマが大好きです。
*安岡 正篤師の「心を養い、生を養う」一日一言集の 5 月 30 日に、「傳家寶・でんかほう」という教えがあります。古くても今日の教えのようです。要点を書いておきます。
*? 我が幸福は祖先の遺恵、子孫の禍福は我が平生の所行にあること。
? 平生・己を省み、過ちを改め、事理を正し、恩義を厚くすべし。百薬も一心の安きに如かず。
? 良からぬ習慣になれるべからず。人生は習慣の織物と心得べし。
? 成功は常に苦心の日に在り。敗事は多く得意の時に因ることを覚るべし。
? 事の前に在りては怠情、事に当たっては粗忽、事の後においては安逸、これ百事成らざる所以なり。天才も要するに勤勉のみ。
? 用意周到なれば機に臨んでも惑うことなし。信心積善すれば変にあっても恐るることなし。
? 不振の精神・頽廃せる生活の上には、何ものをも建設するに能わず。永久の計は一念の微にあり。・・・なるほど、すごいですね。堂々たる「人生の道しるべ」です。
*舛添 要一東京都知事のこと・私は神奈川に住んでいますから、東京都知事に関することはどうのこうのと言えないのですが、日本の首都は東京ですし、1300 万の人々が住む都市とか年間予算にしても、世界の国々と比較しても一国に値するわけです。最近の新聞やTVニュースから学んでおくことが大切と思いました。それは「公私混同」はだめだということです。どんな会社でも私生活の経費と会社の業務上の経費は分別は当然です。家族と出かけた正月の温泉旅行の費用が、政治のための会議費だとは・・・こんな会計処理があるわあるわと出てきます。会社の代表者がこんな会計処理をすると社員が皆それに倣い、やがては倒産するでしょう。
改めて論語に学ぶとすれば、過去にも書きましたが、「無信不立」です。弟子が孔子に「政に大事なのは何ですか」と尋ねました。すると孔子は、国民が十分に食べていけること。防衛が十分にできること。民が政治を信用すること。の、三つが大事だと答えました。弟子はこの三つの中で最も大切なことは何かとさらに尋ねました。孔子は「国民の信がなくなったら話にならんよ」・・・最も大切なのは「信」である。・・・舛添さんは第三者に厳しく調査してもらうとのこと。第三者とは弁護士であるとのことですが、自分で選び自分で調査費を払うとのこと。弁護士の業務は依頼者の味方になって弁護するわけです。変ですね。・・・これは悪例の「人生の道しるべ」です。「襟を正しましょう」。
ありがとうございました。