建築を通して社会のお役に立とうと、昭和 47 年に起業したわけですが、一人や数人では、現代の経済社会に充実した質の高い建築の成果を、スピード感を持って貢献できないと、当時から痛感していたのです。多くの人の力を必要と思い徐々に社員を増やしてきましたが、同時に、同じ方向を目指す人材〔財〕育成こそが、社会のお役に立つためには何より大切であると気が付き、創業 30 年を過ぎたころからコラムを書くことを始めたのです。
お客様の満足と社会のお役に立つことを目標に掲げ達成するには、デザイン力、技術力を向上させることと併行して、役員・社員が「徳を積み」、「徳で物事を治められるように成る」ことが大切ではないか。それは、「人物を磨くことと、人物を創ること」が、原点であり、そういう歩み方に期待と願いを込めた、社員に毎週読んでいただくコラムだったのです。言わば、社員に向かっての私のメッセージでした。
そういうコラムを毎週書くとなりますと、私自身が息切れ、ネタ切れになりますし、社員を育てようと思えば先に自ら学ぶことだと気が付いたのです。結果としてコラムを書くことが、ありがたいことに、社員と自分も共に育つことだと思うようになりました。ここから、何事も「一事一貫」とか「コツコツ」ということを、実践することができました。
*想えば、日比野設計は昭和 47 年 1 月 4 日に、決意も新たに厚木市戸室のアパートの一室で個人創業したのです。この年の 7 月 13 日が、法務局に株式会社設立を届けたわけで、法人化した創立記念日です。
数年前からコラムの書き止めを意識していましたが、目標を千の 100 回と決めました。おかげさまで、創立記念日の週に最終回となりましたのは偶然性もありますが、昨年あたりから概ね計算もしていました。マラソンを走り抜いた気持ちですが、多くの方々に激励をいただいたから達成できました。今、心から皆様に感謝し、感激しているところです。
*私の好きな、『10 年偉大なり、20 年畏るべし、30 年歴史になる』という、鍵山 秀三郎さんの言葉があります。これは、個人にも法人にも、持続と言う大切なことを教えてくれています。
個人においては趣味でも仕事でも、一つ決めたらやり続けることが何より大切であるわけで、まず、10 年続いたら確かに偉大ですよ。20 年続いたら、畏るべしとは、畏敬の念を表しているのです。これぐらい続いている人は、何かをつかんでいる人で、周りから一目も二目もおかれている人だと思います。
3 年前の月刊誌「致知」に、編集長がこんなことを書いていました。『以前こういう話を聞いた。ある人が地方都市に旅行し、市役所の人に古くからある神社を案内してもらった。その神社は 50 年前に修復を行い、百の会社が協賛、寄付をしてくれた。さて、50 年経ったいま、そのうち何社が残っていると思われますか、と、市役所の人に質問された。読者の皆さんはどう答えるであろう。残ったのはたった一社である。それも業態を変えて残ったのである。では百年後に生き残れるのはどれくらいか。千社のうち二、三社が定説である。』・・・この類の話はよく聴く話で、起業した法人が 10 ~20 年で半分以上が廃業しているのは事実のようです。
法人の持続は、企業価値を高め、社会に必要とされているか。人材が育っているか。財務内容が充実しているか。などで、30 年以上となれば歴史になるとは、なるほど当然です。
日比野設計も多くのお客様によるご支援、社員の皆様の努力、建材メーカーや工務店の皆様のご協力で、創業 45 周年になりました。謙虚な気持ちで、少しだけ褒めていただいても良いかなと思っています。
*その点で、すでにコラム〔千の68〕「サスティナブル」でも書きましたが、企業価値を高め持続的成長をさせることが私の目標でもありましたから、「学びて習う」として復習しておきます。
*持続的成長〔サスティナブル〕について、『社会的な課題に企業もきちんと対応しなければ、サスティナブルではない。今はそういう時代に入っていると思う。ただし、そのことに気が付いていない企業もまだまだ多いのが現実です。社会的な課題はビジネスにとってはニーズです。社会的な課題にきちんと対応し、早期に解決していくことで、新たな需要、新たな経済活動、新たな産業を創出していくことができます。そういう意味では社会的課題をいち早くとらえ、課題解決に真剣に取り組むことは、企業にとって生き残るために必要なことなのです。』・・・元東大総長で三菱総研理事長の小宮山 宏氏の話ですが、私は見事な見識だと感動しています。これは何十年経っても企業の持続的成長に必要な先見性として、言い当てていると思います。
*今年の 6 月 20 日の日本経済新聞の記事で、テニス仲間が日比野さんの求めてきたことと同じでしょうと、親切にも切り抜きを渡してくれました。
「経営の要諦」と題して、丸紅会長の朝田 照男氏のコラムの要約は、『経営のミッションとは、持続的成長を通じて企業価値を高め、全てのステークホルダーに報いることだと私は思っている。会社が発展・成長し、繁栄するために必要なことは何だろうか。風通しの良い組織の下に、如何に多くの社員がモチベーションを高め、自由闊達にやる気をもって行動するかではないだろうか。会社の繁栄とは、如何に多くのキラキラと輝く社員と、会社をより良くしたいという思いを共有するかだ。勿論、従業員を動かすには社長の強いリーダーシップが必要だ。しかし組織が大きくなればなるほど、社長一人だけでは組織は動かない。』・・・正に私の求めてきたことで、「経営の要諦」は人だ ! とする定義は、会社の大小を問わず最も大切なことと、大いに賛同するところです。
*最後に書きたいことは、冒頭で書きました「徳を積む」「徳で治める」ということです。千 100 回のコラムで一番多く書いたことはやはり「徳」のことでした。
・07-09-08 ・〔第219回〕・「徳と集団」
・07-10-07 ・〔第233回〕・「母の徳」
・08-03-19 ・〔第314回〕・「徳は得なり」
・09-03-20 ・〔第462回〕・「徳と人物」
・11-04-16 ・〔第712回〕・「徳に基づき」
・14-11-08 ・〔第999回〕・「人に長たる者の人間学・・その3」
・15-02-22 ・〔千の16〕 ・「徳は得なり」 ・・・以上 7 回書いています。
*「徳」とは中国では古来から「仁」「義」「礼」という三つの言葉で表していました。
・「仁」とは、他を慈しむこと。・・「恕・じよ」を含めて。
・「義」とは、道理に敵うこと。・・「公私混同」しないことを含めてやっぱり正義です。
・「礼」とは、礼節をわきまえていること。・・親・兄弟姉妹・恩師・友人・先輩・後輩・お客様など関わる方々全てに。
*〔第462回〕で書いたことですが、『若い方々にはまず、ご両親の「徳」に触れ、親孝行として「徳」のお返しをしてほしいと思います。これは「心」であり、「心」のある温かい言葉から始まるのです。建築を志す者、職業として歩み出した者、「徳」の何たるかを「知る・感じる」ことが成長の証となると思います。感性を磨いていけば、お客様の「徳」に触れ、感動をいただくことが多くなり、最高の人生を歩めることになると思います。』・・・やっぱり人生は「徳は得なり」に尽きると役員・社員に伝えたいのです。
*経営はトップの器で決まる・・・『〔第712回〕で書いたことですが、「企業経営においても、長く繁栄を続ける企業をつくりあげていこうとするなら、「徳」で治めていくしか道はない」と、稲盛 和夫さんの言葉を引用しています。これを言い換えれば、経営者は人間としての器、自分の人間性、哲学、考え方、人格を磨けということですが、確かに会社経営者でも、政治家でも少しばかりの成功で謙虚さを失い傲岸不遜、私利私欲の追及に走ることで、せっかく手にした成功を失っているケースがままあります。いまこそ、賢人達の知恵に学び、「徳」ということの大切さを理解することが大切です。』・・・その通り、会社の経営はトップと経営陣の器で決まるのは当然です。
*建築家は一代ですが、会社は何代も何年も持続させねばならぬとする考え方が、私の経営哲学でした。自分の気力体力の衰えが、会社の衰えと同じ下降線を辿るようでは、お客様に対して、社会に対して、働いている社員達に失礼であり申し訳ないことで、そのためには、常に魅力ある会社として持続が必要です。それは、「徳のある社員集団が社会的課題に挑戦を続ける」「過去・現在・未来につながるお客様や社会との連携」「安定した財務内容」などが、企業価値で、いつの時代でも有能な者に経営のバトンを渡せる、これが「持続的成長」する会社だと考えます。日比野設計は創業時代から「未来を創る」と指針を掲げました。それは「お客様の未来を創る」であり、「社員の未来を創る」ことなのです。今後の「持続的成長」のために、この指針の持続を期待します。
*7 月 8 日〔金〕午後 7 時・藤沢市民会館大ホールにて、デビュー 30 周年のフルートの山形 由美と、スイスはローザンヌの室内オーケストラ「カメラータ・ド・ローザンヌ」の共演があり、妻と娘が招待してくれました。私のコラムが千願を達成した内輪の祝いをしてくれました。ありがたいことです。
最後のコラムを書き上げ閉じようとしていましたら、昨年の入賞に続き今年も、「2016・キッズデザイン賞」に 6 件のプロジェクトが入賞したとの報告がありました。「幼児の城」ブログをご覧ください。これらの業務は私の引退した後の仕事で、新しい役員であるチーフやそのスタッフ達が取り組んだ成果であり、快挙です。確実に弊社の人員が成長している一つの証で、大変うれしく思っています。今週は創立記念日を祝うことと、新しい「幼児の城」7 号の出版を祝う行事があり、花を添えることになりました。
長い間読んでくれまして、ありがとうございました。最後にまた硬い話になりましたこと、恐縮です。多くのお客様、社員の皆様、建材メーカーや工務店の皆様に、心から感謝し、お礼を申し上げます。法人、個人の皆々様が、「健体康心」であり、繁栄が持続することを祈ります。今後の日比野設計を見届けくださり、ご支援のほどよろしくお願いいたします。・・・日比野 満コラム・完
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*私は洗面するときに、猛烈な自省の念が沸き起こってくることがあります。例えば、前日の言動が自分勝手で納得できないときに、「バカモンが !」などと、鏡に映る自分自身を責め立てる言葉がつい口をついて出てくるのです。最近では、朝の洗面時だけでなく、自宅やホテルの部屋に戻り、寝ようとするときに、思わず「神様、ごめん」という「反省」の言葉が自分の口から飛び出してきます。
「ごめん」とは、自分の態度を謝罪したいという素直な気持ちと共に、至らない自分の許しを創造主に請いたいという私の思いを表しています。このことを私は、自分自身の「良心」が、利己的な自分を責め立てているのだと理解しています。・・・ここまでは稲盛さんの言葉ですが、すごいですね。企業を起こし、大企業に成長させ、グループで何万人かの雇用を実現させ、人と製品を通して世のため人のために貢献している方が、「反省ある日々をおくる」という生活姿勢なのです。
*「反省」をするということは、そのように、ともすれば利己で満たされがちな心を、浄化しようとすることです。私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、利己的な思いを少しでも抑えることができれば、心の中には人間が本来持っているはずの美しい「利他」の心が現れてくると考えています。人間の本性とはもともと美しいものです。「愛と誠と調和」に満ち、また「真・善・美」、あるいは「良心」です。人間は「反省」をすることで、この本来もっている美しい心を開花させることができるのです。私自身を含め、人間は誰しも完璧でありえず、時には間違いを引き起こしてしまいます。しかし、そのたびに素直に「反省」し、再び同じ誤りをしないように懸命に努めていく、その日々の繰り返しが少しづつ人間性を高めてくれるのではないでしょうか。・・・前回のコラム「吾日に我が身を三省す」という論語の教えに通じるわけですが、稲盛さんの言葉にして、説得力があり感動するところです。先哲の生き様をまねたいものと思います。
*私のコラムも残すところ後一回です。設計事務所を経営してきまして、振り返って言えることは、デザイン力、技術力が上達しても、制度方法を論じても、その人にあらざれば行われ難し、ということです。『あらゆる仕事・事業は人物に尽きる。担当する人間の人物いかんが仕事・事業の盛衰を決める。事業は人業〔じんぎょう〕といわれる所以。
私が役員・社員に「人物を磨け、人物を創れ」と言ってきたのはここにあるのです。』・・・多くの先哲が伝えてくれることに、「天下の本は国にあり、国の本は家にあり、家の本は自分自身にある」とありますが、社業を充実させて「世のため人のために尽くそう」とするならば、人を第一の玉〔宝〕として位置づけ、「玉は磨いてこそ器になるし、人は練磨によりて仁となる」と、私は思うのですが、理解いただけるでしょうか。
*来週は「株式会社 日比野設計」の設立記念日〔7 月 13 日〕のある週です。来週のコラム〔千の100〕で、最後にいたしますが、何を書くかはすでに決めています。また読んでください。
ありがとうございました。
]]>世界の経済はつながっているとは承知をしていましたが、日本株式や米国株式、ドイツ、フランスなどの株式が負の連鎖暴落となり、日本経済新聞が試算した報道によれば、世界の株式価値が24時間で、330 兆円ほど失ったとのこと、日本株式の下落幅では、戦後では 10 番目とか、驚きです。さて、株式市場を開設する世界の国々でどの国が立ち直りが早いか注目です。
*さて、前回のコラムの最後に「省・かえりみる」ことが何よりも大切であると書きましたが、月刊誌「致知」の 7 月号が届き、論語普及会学監・伊與田 覺先生の、「吾日に吾が身を三省す」と題しての小論文がありましたので、要点を書いてみます。
*「吾日に吾が身を三省す」とは、孔子の弟子・曽子の言葉で、「私は毎日自分を三省、つまり度々省みている」というわけです。「省」というのは振り返って反省するというだけでは十分ではなく、良いところは残し、悪いところは省いていくことが大切である。省みるだけで、省くという行動が無ければ 50 点にしか達しないとのこと。これ、「不易流行」に通じるわけです。孔子の時代と芭蕉の時代では 2 千年も隔たりがありますが、道の極意は時代を超えても共通のようです。
*さて、日本の明治時代に新政府が国の役所に「省」を付けまして、現在まで普通で自然なこととして使われています。例えば、国土交通省、文部科学省など、「省」の字がついているのも、省くという意味合いが込められており、社会の発展に従い物事が複雑になっていくのを省いていくことが大きな役割の一つともいわれています。一度決まったことや昔からあるものを、変えたり無くしたりするのは容易なことではありませんが、役所も会社もそして個人も、守るものは守り、省くものは省くという意識を常に忘れてはならないと思います。
*想えば、近代建築の歴史においても、装飾主義から機能主義へと変わってきましたが、現代建築は意匠・構造・設備など、新技術や新建材を含めて、総合コストを読みながら、人々に必要なものと、不必要なもの「省く」を、見極めながら使いやすくて美しい建築を構成するのが専門家及び専門家集団の大きな役割だと思っています。
*前回のコラム「利より信・・・省みる」に、二つ加える論語があり、一つは先の教育講演会の石川理恵子さんの「女子の武士道」の中にも引用されていました。子曰く、『利によりて行えば、怨み多し』: 孔子が、利益ばかりを考えて行動したら、人の恨みを受けることが多い、と教えてくれています。
もう一つは、子曰く、『君子は義に諭〔さと〕り、小人は利に諭る』: 孔子が、君子はいかにして正義を行うかを考え、小人はいかにして、利益を得るか、儲かるかを考える。「義」とは、正しいということ、道にかなっているということ、と教えてくれています。
ありがとうございました。
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*皮肉な見方をすれば、日本は民主社会であることを証明したわけで、1300 万人の代表である都知事を、都民の声を伝えるマスコミの連日の報道と、都民の代表である都議会の追及によって辞職させたのです。
*それにしましても、「セコイ」という言葉を国際語にしてしまったのはこれも皮肉なことで、「公私混同」なる生活姿勢は「身から出た錆」で、これに説明責任を果たせず、都民の 90 %が辞職してほしいという街頭アンケートの通りになりました。
*ここ何回かのコラムで、孔子の言葉である「無信不立」について書きましたが、同じ趣旨で 2015-02-15 に、〔千の14〕「利より信」を書いています。『「利より信」を選べば、世間が応援する。・・「信」はこの世において人の最高の財である。・・「徳」を実行したならば、幸せをもたらす。・・「信」こそ、この世を渡る貨幣である。・・「信」無き会社はたちまち潰れる。「信」を失った組織はすぐに崩れ去る。・・これが人の法則であることを、次の世代の人達と子ども達に伝えたい。特に会社の経営者や政治に携わる人達、そして公務員は「利より信」を選ぶ勇気を「人生の戒」としてこれを持つようにしてほしい。』と書きましたが、これは高木書房出版・北川八郎著「あなたを苦から救うお釈迦さまのことば」の中にある名言です。
*納税している都民の誰しもが、知事は「セコイ」よ ! と、言うのは当然です。私生活の用品あれもこれもの数々が公金で処理する姿勢は驚きで、空港で買った中国服や趣味の美術品や文房具などに私は大変驚きました。また、高額な豪華海外出張が大名旅行風で、ファストクラスやホテルのスイートルームなど、都民の生活感覚から大きく乖離しているわけで、これは驕りです。かって成功者であった政治家や会社経営者、プロスポーツの勝利者などが失脚する時、下降線をたどり始める時は、決まって驕りから始まっていると、先人の教えてくれるところですが、過去の私のコラムでも何回か書いてきたことです。
*舛添 知事の辞職の言葉が「私の不徳のいたすところ」とありましたが、最後に「徳」が無かったとか、「信」が無かったと、気がついたわけで、「徳」とか「信」とかは、頭の良し悪しとか学校教育の勉強とは違うところにあるのでしょうか、舛添さんは東大で学び東大の准教授にもなり、それも政治学を修めた人なのです。政治学というのは何を学ぶのでしょうか、与野党の駆け引きや政治資金の使い方を学ぶのでしょうか、「政治は民のためにある」「より多くの人々が幸せになるために政治がある」と、思うのは私ばかりでしょうか。残念・無念というところです。
2015-02-22に、〔千の16〕「徳は得なり」でも書きましたが、私の千篇のコラムの基本的な心は、役員・社員、皆で「徳」を身につけよう、人間力を磨こうとする学びのためで、今後も社会の出来事から「省・かえりみる」ことにより、私も役員・社員の一人ひとりは、まだまだ道半ばだという意識で歩みたいものと思います。
ありがとうございました。
]]>例えば、まず「人は必ず死ぬ」とか「人間の幸福」という視点。 次は「自分の人生は自分しか生きられない」ということ。 第三は「人生は一回限りである」ということは、再演することができないこと。 第四は「この悠久の宇宙において自分という存在はたった一人しかいない」ということは、過去にも未来にも自分と同じ人間は生まれていないし、これからも生まれてこない。・・・こんな視点で毎月人間力豊かな有識者を登場させて語らせています。苦労して苦労を重ねて他人様に語れる人生になったという人物は、皆それなりになるほどという「人生の道しるべ」を持っています。
*こうした先人・偉人の作品・図案、文章、研究結果、商品などはそっくりまねてはいけませんが、こうしたものが生れてきた努力の過程や生き様はまねるべきかと思います。それが「学びて習う」という世界で、やがて独自の道が開かれてくると思います。そういう意味で内外の先人・偉人やその歴史に学ぶことは大切です。私はそうした先人・偉人の伝記やドラマが大好きです。
*安岡 正篤師の「心を養い、生を養う」一日一言集の 5 月 30 日に、「傳家寶・でんかほう」という教えがあります。古くても今日の教えのようです。要点を書いておきます。
*? 我が幸福は祖先の遺恵、子孫の禍福は我が平生の所行にあること。
? 平生・己を省み、過ちを改め、事理を正し、恩義を厚くすべし。百薬も一心の安きに如かず。
? 良からぬ習慣になれるべからず。人生は習慣の織物と心得べし。
? 成功は常に苦心の日に在り。敗事は多く得意の時に因ることを覚るべし。
? 事の前に在りては怠情、事に当たっては粗忽、事の後においては安逸、これ百事成らざる所以なり。天才も要するに勤勉のみ。
? 用意周到なれば機に臨んでも惑うことなし。信心積善すれば変にあっても恐るることなし。
? 不振の精神・頽廃せる生活の上には、何ものをも建設するに能わず。永久の計は一念の微にあり。・・・なるほど、すごいですね。堂々たる「人生の道しるべ」です。
*舛添 要一東京都知事のこと・私は神奈川に住んでいますから、東京都知事に関することはどうのこうのと言えないのですが、日本の首都は東京ですし、1300 万の人々が住む都市とか年間予算にしても、世界の国々と比較しても一国に値するわけです。最近の新聞やTVニュースから学んでおくことが大切と思いました。それは「公私混同」はだめだということです。どんな会社でも私生活の経費と会社の業務上の経費は分別は当然です。家族と出かけた正月の温泉旅行の費用が、政治のための会議費だとは・・・こんな会計処理があるわあるわと出てきます。会社の代表者がこんな会計処理をすると社員が皆それに倣い、やがては倒産するでしょう。
改めて論語に学ぶとすれば、過去にも書きましたが、「無信不立」です。弟子が孔子に「政に大事なのは何ですか」と尋ねました。すると孔子は、国民が十分に食べていけること。防衛が十分にできること。民が政治を信用すること。の、三つが大事だと答えました。弟子はこの三つの中で最も大切なことは何かとさらに尋ねました。孔子は「国民の信がなくなったら話にならんよ」・・・最も大切なのは「信」である。・・・舛添さんは第三者に厳しく調査してもらうとのこと。第三者とは弁護士であるとのことですが、自分で選び自分で調査費を払うとのこと。弁護士の業務は依頼者の味方になって弁護するわけです。変ですね。・・・これは悪例の「人生の道しるべ」です。「襟を正しましょう」。
ありがとうございました。
昨年の「下町のロケット」のTVドラマも十分楽しむことができました。事実とフィクションの織り成す構成が作家や脚本家の筆力だと思いますが、私も小さな会社ですが長く経営しましたので、人間の機微に触れる感動や悲観など度々経験したことを思い出しました。
さて「七つの会議」のことは、題材は違いますが昨年来の企業不正に通じることで、担当者がコストダウンによって業績を上げ出世しようとすること、コストダウンは製品の質〔強度〕を落とすこと、部品の下請け会社を泣かすことにつながるが、これを強行する。やがて製品の不良が消費者から届き始める。それぞれの関係者、特に部課長など幹部が知る。正々堂々と早期リコールを公表し改修や回収に動くか、リコールの公表は保身と同時に大企業の子会社である中小企業として、会社存亡の危機と苦悩するわけです。社長や一部の役員は隠蔽して逃げ切ろうとする。やがて不正は内部からジリジリと広がるのです。虚飾の繁栄か、真実の清算か・・・強度偽装に気づく時・・・社員間、役員間の確執や正義感も含めて、親会社も巻き込み大きな問題に発展するわけです。・・・また読んでみてください。
例えば・東洋ゴム・東芝・横浜のマンションよる杭問題と鉄筋切断・ダイコーによる食品不正など、これらの会社の内部でもあったことだろうと思わせる似たようなことを、よくもここまで、読者の興味を引き込む小説として書けるものだと、池井戸 潤の筆力に驚くばかりです。
*それでも作者の良心だろうか、苦悶する正義感のある一人の役員は、就職前の学生時代、田舎で父親が小さな商売をしていたことを回想して、亡き父親のアドバイスを思い出す場面があります。
『仕事とはどういうもんか・・・一つだけ言うとくけど・・・その時父は言った「仕事っちゅうのは、金儲けじゃない。人の助けになることじゃ。人が喜ぶ顔を見るのは楽しいもんじゃけ。そうすりゃあ、金は後からついてくる。客を大事にせん商売は滅びる』。・・・この言葉は役員の胸の深いところに沈み込んでいた。・・・不正など生まれる企業ではいけない。
*想えば、NHK朝ドラ「あさが来た」は来週が最終章ですが、時代背景は幕末から明治時代、成功した女主人公「あさ」〔実話・炭鉱経営・銀行経営・生保経営〕が、「一生一事一貫」を貫いたモットーはお客様のためになることで、稲盛 和夫さんの「利他の心」、近江商人の三方よし〔買い手よし、売り手よし、世間よし〕の商訓に通じるものでした。
*これこそ我が社が続けてきた 45 年間の朝会議で、折々に話し続けてきた基本です。我が社のみならず、どんな職業の企業でも共通するものだと確信します。
建築設計において、設計者だけが満足するような仕事ではいけません。「私たちの若い頃は著名な建築家も含めて誰もが、何かカッコイイものをつくるぞという風潮があったのは事実です」しかし、今はこういう建築家は減ってきたように思います。人々のための建築を設計し、お客様に喜ばれ、工務店の皆様も工事をまとめた満足感があり、様々な材料メーカーも商品を供給した喜び、同時に職人さん達も自分が手掛けたという心意気など、関係者皆が自信を持って思い出に残る仕事でありたいものだと思います。私は 30 年も前から、工事完了後、プロジェクト関係者の建築同窓会を、10 年後、15 年後に開けるような「絆」が生れているのが理想と思い続けてきました。・・・どこからでも、何からでも学ぶということからすれば、小説からも学び得たわけです。私は先日、会社の新役員達に「三つのつくる」を託しました。
*さて、表題の事で新役員に私の希望と期待を込めた、「三つのつくる」は下記の通りです。
一つ、人をつくる。・・・若い社員を育成してください。若い社員は会社の次代を担う人財です。技術、デザインの充実と同時に人物を磨く育成を共存させてほしいのです。
二つ、建築をつくる。・・・我が社の役員はプレイングマネジャーです。自らもチーフとして良質な建築設計を創ることに携わり、常にお客様に接するのです。
三つ、会社をつくる。・・・上記の二つと共に大切なこととして、会社はサスティナブル〔経営持続〕であることが大切です。お客様の建築を創り続けることと同時に、守り続けることが大切です。そのためにはまず、社員及び社員の家族共々「物心両立」ができる生活基盤を確立することで、それでこそ大いに働けるのです。長期安定して経営持続するためには、「入りを図り、出を制する」財務内容の充実が大切で、これこそが社会の中での「総合信用」を確立することです。
ありがとうございました。
]]>「機を活かす」〔千の77〕・2016-02-07・や他のコラムの折々に、日比野設計も新生日比野設計として若返り、さらなる経営持続〔サスティナブル〕を図り、「至誠天に通ず」の心意気で、社会貢献を続けることを目指したいと述べてきました。
*平成 28 年 3 月 14 日〔月〕・午後 2 時から臨時株主総会を開催し、新役員が承認されました。新役員の顔ぶれは「幼児の城ブログ」で、当日報告させていただいていますので、ご確認ください。平均年齢 40 歳の若き面々ですが、「お客様と社会に貢献」してくれるものと、私は確信していますし、大いに期待しています。広く社会の皆様、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
*さて、昨年〔千の68〕「サスティナブル」・2015-11-29・のコラムで、「サスティナブル経営」について、三菱総合研究所 理事長 小宮山宏氏〔元第28代東大総長〕の下記の意見に賛同したことを書きました。
『社会的な課題に企業もきちんと対応しなければ、サスティナブルではない。今はそういう時期に入っていると私は考えています。ただし、そのことに気が付いていない企業もまだ多いのが現実です。社会的課題はビジネスにとってはニーズです。社会的課題にきちんと対応し、早期に解決していくことで、新たな需要、新たな経済活動、新たな産業を創出していくことができます。そういう意味では社会的課題をいち早くとらえ、課題解決に真剣に取り組むことは、企業にとって生き残るために必要なことなのです。』・・・確かにその通りです。社会には様々な課題が山積しています。企業の「特質や規模」によって、求める課題の受け止め方が違うのは当然です。しかし、この課題対応にミスマッチであると、その企業や集団はギブアップすると考えます。
*日本のバブル経済崩壊した平成 2 年〔1990〕頃から 10 年間は、どの企業もなりふりかまわず仕事探しに躍起になっていました。18 年かかって日本の景気も立ち直ったかなと思ったところに平成 20 年〔2008〕アメリカ発の「リーマンショク」というアメリカ経済のバブル崩壊の影響が日本を直撃したのです。政治・経済とも社会は大混乱が続きました。自民党が社会党と連立政権を組むなども驚きでしたが、長く続かず、民主党政権になり首相は鳩山・菅・野田の三代のあと、自民党政権に戻りましたが、この 26 年間、新聞や雑誌、TVなどに、日本は先々人口減であり、「少子化・高齢化」社会になるなどの記事が、多く掲載されるようになったと思っています。
*この 26 年間、広い社会には数えきれない様々な課題が山積していました。5 年前の東日本大災害からの福島・宮城・岩手各県の災害復興は当然です。いつ起きてもおかしくない、東京直下型地震や南海地震等に対する防災・減災の備えも必需です。
*私は「少子化・高齢化」の対策こそ、我が社が適切に対応する課題だと取り組んできました。「少子化だから子どもの施設が少なくなりこの領域の仕事が減る」のでは、という心配をしてくれる方々もいました。『少子化の問題点は何か。社会は男女共同参画社会となり、共働きが当たり前の社会になりました。女性の社会進出は素晴らしいことで、女性の活躍は見事だし、現代において女性の活躍無しに社会は成立しないと思っています。半面子どもを産み育てにくい社会になったことも事実です。ならば安心して子どもを産み育てる社会にしなければなりません。若夫婦が安心できる良質の子どものための環境創りが必要です。それは保育士の所得を上げ、労働環境の整備をすることと、良き成長のための良質な保育園を増設することです。
最近「保育園に落ちた・日本死ね」などの過激な意見がネットに出て、国会でも取り上げられました。与野党も保育園増設については、前向きに取り組むとのことですが、「入れればよいとか、預かれればよい」程度の園の増設には反対です。良質な子どものための保育園、保育士が働きやすい保育園の増設が必要だと思います。』
『高齢化の問題も深刻です。「老人漂流社会」「老後破産・長寿という悪夢」「下流老人」などの本が売れています。経済雑誌も老人問題を特集する記事が多くなってきました。毎年建設しても特別養護老人ホームが足りないのです。今、団塊の世代の方々が、入居をしたいと希望する時代になりました。お年寄りは若い頃から大いに働いて、日本の社会つくりに貢献してきたのです。「ごくろうさま」と、快適な「終いの住まい」で余生を過ごしていただきたいのです。』
『子ども達がすばらしい保育士や先生方に育てられ、良い施設で伸び伸び生活すれば、子ども達は素晴らしい成長を遂げ、少年から青年になり、成人となってまた日本の社会創りに貢献するでしょう。成人した大人も大いに働いてやがては老人になるでしょう。希望すれば快適な「終いの住まい」で余生を過ごせるなど、誰でも来た道、通る道すじを確り創り支えるのが文化国家だと考えます。』
*新生日比野設計及び日比野設計技術は、上記の事柄の社会課題に挑戦します。最近中国の仕事も引き受けています。中国も日本同様に「少子化・高齢化」社会を歩み始めています。国家は違っても人間の尊厳は同じです。私たちのノウハウがお役に立つのなら、微力ですが協力をさせていただきます。 さて、私は相談役として、これからも月に 2~3 回は出社しますし、社長として 5 年、日比野設計の充実発展に貢献した安藤 達郎は会長に就任します。私達はこれからも日比野設計を後方から支えるつもりです。今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
]]>それにしましても、東京直下型地震や南海地方の地震などが、地震等の専門家の先生方がいつ起きてもおかしくないなど、警戒することを伝えてくれていますが、教訓を活かす防災・減災について、行政、建築・土木の専門家、そして全国民は心するべきだと思います。
それにしましても、私は建築の専門家として、災害直後の仮設住宅についての問題点を感じます。足りないとなると早くどんどん造れと言うことも当然だと思います。しかし、短期の仮設住宅であるはずが、未だに復興が遅れ、何千戸という仮設住宅で希望も持てずやむなしの生活で我慢している方々がいるわけです。均質化された仮設住宅で、狭い、寒い、結露、カビなどの不快な生活が続いているのです。足りないとか、急ぐなどの要請に対して、「画一的・均質化」したものを当たり前として供給してきたことに、大変困難な問題ではありますが、私は疑問を感じているのです。
災害でもない待機児童対策や待機老人対策などで、足りないからプレハブでもなんでもよい「均質化」したものを早くどんどん供給する社会になってしまう危惧を心配するのです。何事においても、豊かな社会においては、広く人々の個性を重視する「時間・スペース・空間」を大切にする社会であってほしいと考えます。
さて、表題について、月刊誌「致知」で、長年毎月交代で、「巻頭の言葉」を担当している 稲盛 和夫氏・鍵山 秀三郎氏・牛尾 治郎氏・中条 高徳氏の各先生方が述べることに、なるほどごもっともであると毎月感動しているのですが、述べられていることで、[人生の大則」と言える共通のことを最近感じています。それは、「徳」を身に付けることではないか、と、この頃受け止めています。
*稲盛 和夫氏は、『経営はトップの器で決まる・企業を発展させていこうとするなら、まずは経営者が人間としての器、言い換えれば、自分の人間性、哲学、考え方、人格というものを、絶えず向上させていくよう、努力を重ねていくことが求められるのです。しかし近年、日本ではそのようなことを理解する経営者が少なくなっています。少しばかり事業で成功を収めただけで、謙虚さを失い、傲岸不遜に振る舞い、私利私欲の追及に走ることで、せっかく手にした成功を失ってしまう経営者が続いているのです。いまこそ賢人、聖人たちの知恵に学び、「徳」ということの大切さを改めて理解することが大切です。単に一つの集団の発展を導くのみならず、荒みいく日本社会の再生にあたっても、大きな貢献を果たすのではないでしょうか。』・・・さすがに稲盛さんの言葉には実績と共に説得力があります。
*会社の経営者や役員、プロジェクトのリーダーだけではなく、学校の教師、部活動の監督やコーチ、主将など人の上に立つ者皆が心すべきことだと思います。
*私の書いてきた 1000 編のコラムで、基本的に掲げていることはやはり「徳」で、建築設計者として、業務を推進することにおいて、最も大切な心の在り様と考えてきました。我が社の社長はじめ役員社員は皆「有徳人」とお客様や関係者から評価いただきたいといつも願っています。・・・過去に下記のような「徳」について書いています。
・07-09-08 〔第219回〕・「徳と集団」
・07-10-07 〔第233回〕・「母の徳」
・08-03-19 〔第314回〕・「徳は得なり」
・09-03-20 〔第462回〕・「徳と人物」
・11-04-16 〔第712回〕・「徳に基づき・・・」
・14-11-08 〔第999回〕・「人に長たる者の人間学 その3」で「徳」について
*「徳は得なり」では、「徳」というのを平たく初歩的に言うと、人間が自然から与えられているもの全て。即ち、得たるところのもの、みな「徳」だ。天から、自然から、親から生んでもらって与えられたものみな「徳」という。だから「徳は得なり」ともいう。
また植物論で言えば、「玄徳」のことを根。だから人間学を確り養い〔太陽や水、肥料〕、芽が出てきたらこれを良く世話をして〔太陽や水、そして雑草を除去し〕育て美しい花を咲かせる。これを明らかにするという意味の「明徳」という。
「徳と人物」においては、まず、両親の「徳」に触れ、親孝行として「徳」のお返しをしてほしいと書きました。お返しは高価な物ではなく、「心」の温かい言葉からはじめるのです。両親に対し「ありがとうございます」から。
*感性を磨いていくと、お客様や友人の「徳」に触れ、感動をいただく最高の人生を歩めるようになると思います。・・・因みに、私が業務を始めてからこれまで、多くのお客様や関係者から「徳」をいただき、大変幸せです。最初にいただいた「徳」による感動は、湘南やまゆり学園の前理事長・小山 昭雄 先生です。昭和 50 年代から茅ヶ崎市、伊勢原市、横浜市の 3 市内に 8 園舎を経営され、常に 2000 名を超える子たちを教育されています。全ての園舎の設計を担当させていただき、学園の充実発展のお手伝いをさせていただきましたが、先生は私利私欲なく、視野は全て幼児教育のことで、「三つ子の魂 百まで」と、「国家の人づくり」は幼児教育から始まるが信念で、「有徳」の哲人・賢人です。「日比野設計の設計図は心で描く」と、ある書に書いていただき、感激したことは忘れません。弊社の「幼児の城」の原点は、ここから始まったのです。湘南やまゆり学園さんは今年創立 50 周年とのこと、誠におめでとうございます。小山 昭雄先生は 80 歳を超えられましたが、今後も健康長寿で、まだまだ広く社会に意見していただきたいと思います。
*来週の 3 月 14 日に、弊社では臨時株主総会を開催し、新社長はじめ新役員が決まります。ここまで、安藤 達郎社長が社業の充実発展に貢献されました。今後は会長に就任する予定です。新生日比野 設計は「有徳集団」として、さらにお客様と社会に貢献する所存です。
広く社会の皆様に今後とも、ご支援ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
]]>表題のことは、創業の時掲げた目標で、今でいう社是というものです。私が 30 歳の時、昭和 47 年〔1972〕に会社を設立し、6 畳一間の 1 Kのアパートを事務所にして、希望を抱いてのスタートでしたが、建築設計・監理の受注促進と同時に、業務を推進する姿勢を掲げる必要があると、会社の体をなしていない段階に掲げたことに、今、想えば青臭いとも思えますが情熱の塊だったのです。
*考えてみれば、人が仕事を成し遂げようとするためには、欠かせないもので、一人ひとり個人的にも、会社としても大切なことで、それが『熱意・誠意・善意・創意』ではないでしょうか。
*『熱意』のないところには何物も生まれないと思います。以前にも引用したことのある、パナソニックの創業者 故 松下 幸之助翁が言っていることに「二階にのぼりたいなぁ~、ではまだまだだめである。なんとしても二階に上りたい。そんな『熱意』がはしごを生み出す」「二階にのぼりたいなぁ~」とは誰もが思う。しかし、その程度の思いでは二階にのぼることはできない。「なんとしても」という熱い思い、たぎるような思いがあって初めて、二階にのぼるためにはこうしたらどうか、ああしたらどうかと夜も昼も考えを詰めることができ、『はしご』という手段とか方法に思い至るのである。
上記のことは松下語録ではあるが、誰しもがこんなことに出会ったことがあると思います。要は、「一事一貫」して徹底しただろうか ? 徹底することで、そこに求めようとする成果が見えてくるということです。
*月刊誌「致知」の編集長が、12 年も前に似たようなことを書いていたことを思い出しました。この「『熱意』と車の両輪をなすもの、それが『誠意』である。人間、情熱だけで突っ走ても、それなりにうまくいきますが、しかし、それはあくまで一時期である。人間としての誠実さを欠くと、必ずどこかで崩れる。歪んだ結果しか手にできない人生になりはしないか。・・・なるほど私も賛同するところで、『熱意』だけでは片輪で、『誠意』と共に両輪ということです。『誠意』とは〔千の71〕「至誠」などや、他の私のコラムで何回かで書いていますからまた読んでください。
*『善意』とは私のコラムで度々書いていますが、「恕」とか「利他の心」と同義語で、お客様に対して尽くすのは当然のこと、スタッフや社友の皆様、お世話になる建材メーカーの皆様や工務店の方々に対する労いの心のことです。仕事を推進する心の基本的なベースに、『善意』がなければならないと思います。
*そして、『創意』である。絶えず創意工夫する。昨日よりは今日、今日よりは明日と常に前進するために、ああしよう、こうしようと考え続ける。そこに仕事の飛躍が生まれる。ここでよく考えてほしいことは、『創意』の基になるのは知識・教養であるわけで、そうした基礎の勉強を幅広く積み、発展させていくところに充実した『創意』が生まれると思います。
*因みに、元経済企画庁長官・故 野田 卯一〔岐阜県出身〕先生が、40 年程前、『創意躍進』という書を私が正座する前で揮毫くださり、「君が建築設計で起業したことを祝す・頑張りなさい」と、激励を受け感動したことを昨日のことのように記憶しています。この書を装丁した額が自宅の和室に掲げています。
ありがとうございました。
]]>タイミングよく「二・二六事件」について、学べる環境でした。第一は、21 日〔日〕の午後から、善行雑学大学の講座で、元NHK編成主幹・元大正大学教授・昭和史の研究家・中田 整一氏の講演があり、題は「回顧 80 年 二・二六事件とは何だったのか」で、昭和史の研究者の有意義な話を聴講しました。
第二は、2 月 24 日の夜 10 時にNHKが放映した歴史秘話・ヒストリア「二・二六事件・奇跡の脱出劇」 第三は、2 月 25 日午前 8 時にNHKBSプレミアム「二・二六事件前夜・高橋 是清決死の攻防」について、歴史家や近代日本史を研究する大学教授などの座談会があり、それぞれ録画し大事なところは何度も巻き戻し勉強しました。
想えば、昨年の夏、8 月 22 日〔土〕・29 日〔土〕の 2 回で、放送 90 年記念ドラマとして、「経世済民の男・高橋 是清」が、主演オダギリジョウで放映され、感動したことを憶えています。
*大正末期から昭和になっても日本は不況時代で、昭和 4 年〔1929〕にはアメリカ株式の大暴落となり、世界恐慌〔昭和恐慌〕となりました。昭和 6 年、浜口 雄幸首相が退陣し、犬養 毅首相〔五・一五事件・昭和7年5月15日に陸海軍の青年将校に暗殺される〕となり、引退していた高橋 是清〔総理大臣の経験者〕は、強く入閣を要請され 4 度目の大蔵大臣に就任しました。日本の経済を立て直すことに大きな期待を担ったのです。不況脱出のために緊縮財政を唱え〔軍拡をけん制〕ながら、国債を増発し円安を誘導する。
*昭和 7 年には積極財政を唱え、国債を大量に発行し日銀に買い取らせ、公共投資にお金を廻す策が功を奏し、同時期に円安で生糸などの輸出も伸び、世界ではいち早く景気が回復しました。それでも軍部が強固に軍拡予算の増強を要望してきました。高橋 是清は『軍備の増強は良くない・国としては通商国家として「富国裕民」となり、軍備は軽武装で防衛できればよい」と主張し、軍部と衝突しました。
*青年将校達は高橋 是清大蔵大臣の軍を軽視するような政策に反発しました。景気が少し良くなっても、インフレで日本の社会は都市と農村の格差は大きく、まずしい地方の農村出身の兵士たちの不満が鬱積していました。革新的な青年将校たちは、政府批判と同時に、軍の上層部にも反発しクーデターを実行したのです。二・二六事件は 3 日後の 29 日には鎮圧されました。岡田 啓介首相は、秘書官の福田 耕らの機転で首相官邸を脱出しましたが、高橋 是清大蔵大臣〔6 度目の大蔵大臣就任時〕〔82〕は、自宅で銃弾に倒れました。
*この後の日本の政治は歴史の通りです。昭和 12 年あたりから日中戦争が始まりどんどん拡大していき、やがては太平洋戦争に突入していくわけです。二・二六事件〔軍の上層部に利用された?〕以後の 19 年間は軍政といいますか、軍が政治に介入した日本国は、大変困難な時代となり国民が大不幸となりました。
*もしも○○であったらどうだったでしょうか。先の講演やドキュメンタリー、ドラマから学んだ範囲での個人的な見解ですが、これほどの人物・高橋 是清が生きていたら、戦争に突入しなかったのではとも思います。幾つかの高橋 是清語録を書いておきます。
『若者の教育こそ何より大切である。若者は未来の羅針盤である』
『国力以上の軍事力を持ってはいけない』
『経世済民』・・世を経〔おさ〕め、民を済〔すく〕う
『富国裕民』・・民間活力を活性化・・人の働きの価値を上げる
『明日伸びるために、今縮むのだ』
*「歴史に学ぶ」ことは、いつの時代でも、どのような会社の職域の仕事においても、「若者は未来の羅針盤」であることに通じます。若者が学び、人間を磨き、人物と言われるように成長していくなど、なんと希望のあるうれしい道程ではないでしょうか。
ありがとうございました。
]]>*『椋さんの故郷は木曽の伊那谷の小さな村。30 年ぶりに帰省し、小学校の同窓会に出席した。始めは誰が誰やら分からなかったが、次第に幼い頃の面影がよみがえってきた。だが一人だけどうしても思い出せない。背が低くて色が黒く、だが威風がある。隣席の人に聞くと、「あんな有名なやつを忘れたのか。ほら、しらくもだよ」。椋さんは、え!? となった。』
*『しらくもは頭に白い粉の斑点が出る皮膚病である。それを頭にふきだして嫌われ、勉強はビリでバカにされ、いつも校庭の隅に寂しそうにしていた。・・ゆったりとした風格を滲ませてみんなと談笑している男が、あのしらくもとは・・。聞けば、伊那谷一の農業指導者としてみんなから信頼されているという。』
*『二次会で椋さんは率直に、「あのしらくもがこんな人物になるとは思わなかった。何かあったのか」と聞いた。彼は「誰もがそう言う」と明るく笑い、「あった」と答えた。』
*『惨めで辛かった少年時代。彼は我が子にはこんな思いをさせまい、望むなら田畑を売っても上の学校にやろうと考えた。だが、子どもの成績はパットとせず、勉強するふうもない。本を読めと言っても一向に読むふうがない。・・彼は考えた。子どもに本を読めというなら、まず自分が読まなければ、と。農作業に追われて疲れていたし、最初は投げ出したくなったが、それでも読み続けた。そのうち本に引き込まれるようになった。感動がこみ上げてくる一冊に出会った。ロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」。聴覚を失ってなお自分の音楽を求め苦悩したベートベンがモデルという名作である。・・ジャンはどんな苦しい時でも必ず這い上がってくる。絶望の底に沈んでも、また這い上がってくる。火のように生きている。・・あまりのその感動に三回も読んだ。』
*『自分もこのように生きたいと思った。そのためには何か燃える元を持たなければ。自分は農民だ。農業に燃えなくてどうする・・。彼は農業の専門書を読みあさり、農業の専門委員を訪ねて質問を浴びせ、猛烈に勉強を始めた。斬新な農業のやり方にも挑戦し成功させ、しらくもはみんなから頼りにされる農業指導者になった。・・この話を聞いた椋 鳩十さんは、力強くこう言っている。「感動というやつは、人間を変えちまう。そして奥底に沈んでおる力をぎゅうと持ち上げてくれる」』。
*いい話ですね。私も感動しましたので、要約して再現しました。・・想えば、新聞やTV報道で、殺人、窃盗、詐欺、政治経済界のルール違反など、いつの世でもありましたが、最近、特に多く感じているのは私ばかりでしょうか。これらの犯罪当事者は幼少から少年時代、高校や学生時代、友人との交遊関係やスポーツとか文化活動において、さらに社会への奉仕活動において、心身に感じる感動体験が少なかったのではないかと私は考えます。
勝つとか負けるなどに関わらず、チームメイトと共に、練習を重ね、上達を確認し共有出来た時の感動は忘れることはできません。コーラスにしろ演劇にしろ、練習の成果をステージで発表した感動もまた忘れられないことでしょう。「利他の心」はここから生まれてくるものと思います。・・私は創業以来 45 年、建築創りで最も大切なことは、チーフとスタッフ、お客様と、さらに工務店のみなさまと感動を共有することと、伝えてきました。
*作家の故・司馬 遼太郎さんは、「日本人とは何か・・思索紀行」の中で、『これからの日本人が、無感動体質になるのが一番怖い』と述べています。・・私も大いに賛同するところです。建築を創って・小説を読んで・ドラマや映画を鑑賞して・友と交友して、スポーツを観戦し、プレイを楽しんで・・・感受性を磨いて感動できる人間に成長してほしいと思います。
ありがとうございました。
余談ですが、点と線と言えば今は亡き社会派推理作家の松本清張さんの昭和 33 年あたり〔私の高校時代〕の作品で、出世作であったと思います。一人の刑事が一つの点〔事件〕を不審に思い捜査を〔線〕としてつなげていくわけですが、一人の刑事の推理と根気が、事件を解決していくわけです。「つながる・つなげる」、点が線になることを表現した実に面白い小説であったと思います。
*『点々あい連ねて線をなす。・線々あい並べて面をなす。・面々あい重ねて体をなす。』
点と点を連ねて一本の線をつくる。その線を並べていくと面になる。その面を重ねていくと一つの体になる。・・・と、百歳になられた論語普及会の伊與田 覺 師は、自らの目標に到達しようと思えば、このような生き方を貫いていくことが重要だと言っています。同じく師は、『至誠は息む〔やむ〕無し。息まざればすなわち久し。久しければすなわち黴〔しるし〕あり』・・通釈・至誠というものは、本気である。遊び心ではない。内から湧き出て止まる時がない。休まずずっと続けていると、それまで見えなかったものが見えてくるようになる。黴とは印、兆しのことです。・・誠実に、久しく物を続けることは、物事を完成する上で不可欠な姿勢なのです。・・確かに、上手とか下手、才能があるとかないと言ったりするレベルは序の序で、やり続けた者にはやはり私も誰しもかなわないと思えるのです。
*言わば、建築も点と線を連続させながら、面を意識し、構造や設備の機能を技術として織りなし、建築主の意向を活かしながら、バランス良く美しく構成するのが、品質の良い建築〔体〕だと思います。「点・線・面・体」の考え方を、建築と人生をつなげるものとして、若い方々に伝えておきます。なるほど、考えてみれば、至誠を貫いていれば、それを理解し、助ける人もまた出てくるものです。一人増え、二人増え、だんだんと広がっていき、厚みを加えていき、そして一つのものが体として完成していくのです。それが建築であり、人生ではないでしょうか。
*先日のコラム〔千の76〕「襟を正せ」でも書きましたが、またまた腹立たしいことを報道で知りました。一人の国会議員が誕生し、その政治活動を国が支援しているとすれば、2~3 億円の税金を必要とするのです。京都 3 区選出の宮崎謙介衆院議員〔35〕は、女性タレントとの不倫疑惑を週刊文春に報じられ、先週の国会は大混乱でした。
これからの時代、男性議員も奥さんの出産に合わせて育児休業〔イクメン〕を取得するべきだと表明した議員で、国会議員の育休制度化について活動して注目されていたのです。
その議員本人が、奥さんが入院した出産直前に、自宅マンションで女性タレントと一泊したとのこと、その後多方面からの不倫追及に、「身から出たサビ」などと自責の念を示し、議員辞職を表明したのです。自らの主張と軽率な行動の辻褄が合わないことなど、こんな軽い人間が、国会議員として国民の税金を受け取っていたなど、一国民として実に腹立たしく思います。
*『無信不立』という論語の教えがあります。・・・弟子の子貢が孔子に「政に大事なのは何ですか」と尋ねた。孔子は、「国民が十分に食べていけること。防衛が十分にできること。民が政治を信用すること。この三つが大事だ。」と、答えた。すると子貢は「やむを得ずして抜くとしたら、三つのうちどれから抜きましょうか」と聞いた。孔子は、「まず、兵をなくそう」と答えた。子貢は「もう一つ抜くとしたら、残りの二つのうちどれにしたらよろしいか」と尋ねた。孔子は「食糧をなくしなさい。信がなくなったら話にならん」と答えた。・・・要するに、政治を行う上で最も大切なのは「信」と言ったのです。・・・政治にかかわらず、会社経営においても最も大切なのは「信」すなわち信用のことを〔千の75〕で書いています。
ありがとうございました。
]]>*スポーツを長年続けていますが、チャンスを活かすタイミングはどの競技にも、試合中に何度かやってきます。このチャンスを活かすか、活かせないかで勝敗が決まるケース多々あるわけです。勝っても負けても、あそこが勝負どころだったと。
*10 歳から 32 歳まで剣道を 20 年ほど〔高校剣道・学生剣道〕修行しましたが、どのレベルにおいてもチャンスのタイミング〔先の先・後の先〕があります。高校生のレベルでも今 ! 打つべきということは度々あるのですが、チャンスを確実な一打にすることができるのは、日頃の「鍛錬」だということです。宮本 武蔵は『千日を「鍛」、万日を「練」』と、言ったそうですが、古き時代のこと、続けた「鍛錬」の「質と量」が生死を分けた打機だったのです。
*30 歳代の 10 年ほど草野球に打ち込みました。会社を設立し社員が増えるにつれ、社員間の呼吸を合わせる必要があると思ったのです。下手は下手なりに、団体スポーツが、皆で「心と力」を合わせるのに役に立ったと思っています。草野球と言えど、会社の社員面々でつくるチームです。日頃の練習はほとんどなしで、土、日に試合のスケジュールが入るのです。社員個々の能力や性格など実に頼もしくもあり、面白いところでした。ヒットや美技の反対に三振や凡打、守備のエラーも含めて、会社の厳しい実務から離れたスポーツが、個々のストレスを解放してくれました。草野球と言えど、ここ一番のヒット、この打者をおさえてピンチをしのぐとか、果敢な走塁など、レベルはちがっても「機を活かす」場面を度々体験したものです。
*40 歳から現在まで、テニスをやっていますが、すでに 34 年になります。相手の厳しい打球にはやられますが、試合中に度々甘い球があるのです。この球を確実にポイントにつなげれば良いのですが、この処理をミスしてしまうことも度々です。こうしたたプレイは考えてできるものではなく、体と腕が自然に反応するのが、日頃からのコツコツ重ねる練習から生まれるのです。我々の楽しむ健康テニスでは、こちらの攻めるエースポイントの数と、相手のミスによるポイントの数でゲームは決まるのですが、「機を活かし」ながら、よく返球し球を持続することの多い方が概ね勝者です。
*さて、当時の「致知」の特集では、「機を活かす」にはどうすればいいのだろうか。・・ビジネスや人生を生き抜くアドバイスがありました。それは、四つあるとのこと、勉強することにします。
*まずは「至誠」である。誠心誠意取り組むことである。「至誠天に通ず」と言うことである。・・・私のコラム〔千の71〕「至誠」で書いていますので、また読んでください。
*次に「敏」である。ピンとくる。そのためには前向きの緊張感を持ち続けることである。安岡 正篤師の言葉がある。『自分の人生を美しくするために、仕事のために、友人のために、世の中のために、できるだけ気をつけよう、役に立とうと心身を働かすことが「敏」の本義』である。・・・私のコラム〔千の70〕「リーダーシップ」で、『君子、未萌に見る。君子、時中す。』などと同義語ですから、また読んでください。
*第三は「徹」。徹することである。以外にこれができない。ほとんどの人が中途半端で終わる。徹する人のみが至り得る境地がある。・・・「致知」が言っていることですが、中々厳しいですね。私のコラム〔千の74〕「一生一事一貫」で貫く生き方を書いていますから、また読んでください。
*最後は「勇」。積極一貫。躊躇する者には「機を活かす」ことはできない。・・・よく分かります。このこと、私は多くのスポーツを観戦して、自らもプレイして学びました。
*若い方々は「機を活かす」ことを心に留めて、各界の先人の人生から学んでください。
*2 月 6 日・午前 3 時 57 分〔日本時間午前 4 時 57 分〕・台湾南部・高雄市を震源とするM 6.4 の地震があり、隣接する台南市で 16 階建ての住宅兼オフィスビルなど、複数のビルが倒壊したとのことです。現時点では 13 人が死亡、480 人が負傷したとの報告ですが、まだ救助及び捜索が続けられているようで、100 人以上が倒壊したビルの中とのこと、死者はもっと増えそうです。何よりも亡くなられた方々にご冥福を祈りますし、負傷者にお見舞い申し上げます。
新聞報道の範囲ですが、倒壊したビルの柱などに、サラダ油などの缶が埋め込まれていたなど、私には考えられないことです。台湾内政部は手抜き工事の可能性があるかどうか調査する方針とか。それにしても、確実な設計、確実な工事監理の上で、工事業者が確実に工事を進め、複数の眼で検査を繰り返して建築を完成させるのは当然です。国が違っても「やるべきことをやる。ならぬことはならぬ」のです。順次報告される調査を世界中の建築工事で次に活かすことです。
ありがとうございました。
*『僕は学生時代スキーに夢中になり、勉強もせずスキーのことばかり考えていました。おかげでスキー選手として、山梨県代表で国体に出場することができました。確かに勉強はしなかったが、その後研究生活に入り、コツコツやること、粘り強く取り組むこと以外に成果は出ないということを、スポーツで学んだと思っています。また、若い頃の研究生活時代毎日毎日夢中になり過ぎて、頭が変になりました。精神科医にゴルフでも息抜きにやりなさいとアドバイスされ、ゴルフを始めてから心身のバランスが良くなりました。』・・・学術研究とスポーツとは関係なさそうに思いますが、簡単には成果は出ないことは共通でも、だが取り組みを続ける根気があれば成果に近づけるという大切なことと、心身のバランスが良いと成果を引き出すことにつながるという教訓。なるほど。
*『ノーベル賞は私だけのものではありません。研究室の全員の成果です。いわばチームの成果です。リーダーは私で、課題や色々な指示を出しますが、実際に研究を実践するのは研究員です。研究員が様々な研究をやり続け、何千というデーターの中に不思議なものがあり、それを発展させたのが成果につながったのです。相手は色々な微生物です。』・・・ノーベル賞はチーム全員のものとは謙虚な表現ですが、「ノーベル賞とチーム力」とは、さすがですね。
*『リーダーの資質に欠かせないものと言えば、「恕」です。研究員一人ひとりへの思いやりが何より大切で、リーダーには研究そのものと併行して、研究員への気配り、目配りをしながら声をかけたり、食事をしたり、疲れていそうだったら早く返したり、研究員への優しさが大切です。』・・・「恕」については私も過去に何度か書いています。論語にある孔子の言葉ですが改めて勉強します。
*『弟子が問うた。一言にして終身之を行うべきものありやと、・・孔子曰く、それ「恕」か、己の欲せざる所、人に施すことなかれ、と』・・・通訳『弟子が尋ねた。たった一言で、一生涯をとおして行動する際に心すべきこと、と言ったら何だろう、と。・・孔子が答えて言った。それは「思いやり」と言うことだ。自分が欲しくないものを、他人に与えてはいけない、と言うことだ。〔自分の心をとおして、他人の心を思いやることだ〕と。』・・・これが「忠恕」という教えにつながるのです。「忠恕」とは何か。
*『「忠」とは〔信頼・信・忠実〕、つまり「裏切らない」こと。「恕」とは〔思いやり〕。要するに、「信用を固く守り」、「相手を思いやること」が「忠恕」と言うようです。』・・・大村博士から学びました。
ありがとうございました。
]]>しかし、VWや東洋ゴム、東芝などの不正は、それぞれの不正の内容は違っていても、その企業の部署ぐるみであり、経営陣の関与や怠慢で不正を止められず、どんどんエスカレートしたとのことで、これらの代償は大変高いものになると書きました。
*またまた食品不正です。1 月 15 日から新聞報道が続いていますが、愛知県警が捜索している、カレーチェーン「COCO壱番屋」を展開する壱番屋が、廃棄した冷凍カツの不正転売事件は、産業廃棄物処理会社「ダイコー」と製麺業「みのりフーズ」の不明朗取引によるものですが、廃棄物が「食品」としてご家庭の食卓に上ったことは、なんともひどい事件で、これは許されません。食品に異物が混入したり、賞味期限が切れたなどは、生産者や販売者などが消費者に対して厳しく守らなければならないルールであり、事業者の倫理だと思います。今回の事件はメーカーや生産者も廃棄業者に裏切れれたわけで、一つ事件が起こり、関連を調査していくと色々な食品が出るは出るは、見事な負の連鎖という報道です。
*しかし、産業廃棄物処理業者も専門分野があって、これらの事件は食品を扱う産廃業者で、食品メーカーから廃棄物処理費用を受け取って引き受けるのです。普通はこれらを粉末に処理し、肥料や飼料に再加工するそうです。畑に撒く肥料か、家畜のエサの原料が人々のご家庭の食卓に上がるのですから、許されるものではありません。また、処理費を受け取りながら処理をせず、次の問屋に有料で販売するなど、商道徳にも反します。違法商売が 2 年前から続いていたとのこと、これらの業者は裁かれるべきだと思います。何業であっても多くの業者は「売り手よし・買い手よし・世間よし」を思い出し、襟を正してほしいと思います。
*1 月 15 日午前 1 時 55 分頃、長野県軽井沢の国道 18 号碓氷バイパスで、スキー客を乗せたツアーバスが道路脇の崖下に転落し、19 日現在で 14 名が死亡し 26 名が重軽傷との大惨事が起きました。大半の客は学生さんで、格安が売りのツアーバスなのです。就職先も決まり、4 月から社会人になるわけで、卒業記念のスキーツアーという若者も何名かいましたが、未来ある若者がこんな形で命を落とすなどたまりません。心からご冥福を祈ります。同時にご遺族や友人の方々の悲しみは察するに余りあります。心から同情しお見舞い申し上げます。
*新聞報道によりますと、この業界は競争が激しく、採算割れの受注競争というのが実態のようで、こうした格安の裏には、運転手さんに長時間運転をさせたり、経験の浅い運転手さんを採用し直ぐにも業務に就かせるなど、運行会社のずさんな管理が問題ですし、ツアーバスを企画する会社の格安運行を求める営業方針にも問題があります。企画会社も運行会社も大きな代償を払わねばなりませんが、国土交通省の認可と指導について、反省を活かし業界全体の改善と見直しが必要だと思います。
*1 月 20 日の夕刊辺りから報道され、「週刊文春・1 月 28 日号」が 21 日に発売されるとのことで、21 日の朝コンビニで一冊購入し読みました。神奈川県第 13 選挙区選出で 9 回も当選しているベテラン国会議員で、安倍内閣の重要閣僚でもあり、難航したTPP交渉の立役者と持て囃された甘利大臣です。週刊誌の真実性が問題点ですが、読んだ範囲では「口利きの見返りに大臣室で現金授受」というところは、実に生々しく、贈賄した方は腹をくくっているようで、「大臣が記憶を整理して説明する」とのことですが、いかがなものでしょうか。野党は納得しないでしょう。国会の混乱が予想されます。それにしましても、秘書の方々のずさんな金銭感覚にも驚きです。議員による秘書教育は会社の社員教育と同じで、会社はお客様や社会のために社員が尽くし働くことを、議員や秘書は国民や市民のために尽くし働くことについて、常に襟を正すべきだと思います。
*食品不正については、肥料や飼料にする食品廃棄物を食べさせられた愛知や岐阜の市民の怒りは当然です。スキーツアーバス転落による大惨事は格安の裏に管理不行き届きがあります。経済再生大臣や秘書による事務所ぐるみの賄賂問題も残念です。
経済も政治も正々堂々、関わる人たちは、人々が信用できる道を歩んでほしいものと思います。個人も法人も「信用」を積み重ねることが何より大切です。さあー、皆でそれぞれの立場で、襟を正した仕事の進め方、生き方に努めましょう。
ありがとうございました。
致知出版社主催で「20 代 30 代のための人間力養成講座」を開催したとのこと、今回が 4回目で過去最高となる 1400 人もの人たちが全国各地から参集したようです。私もこうした講座は大賛成で、その国の 20 代 30 代でその国の将来が決まるとの、主催者である編集長の言葉ですが、私も賛同するところで、熱気溢れる会となったようですが、喜ばしいことだと思います。
*参加した青年教師は「私の心の中に生じた一つの情熱の火が未だに燃え続けていますが、こうした気持ちで授業を進めて励んできましたら、子ども達に変化が見られ始めました。日本の未来をこの教室から照らすのだという強い意志を持って、この先も精進します」という一通の手紙が届いたとのこと、「致知」の灯した小さな火が一人の青年教師の心に燃え移り、さらに連鎖が広がりつつあるとの報告ですが、すごいですね、私も日本の未来に確かな光を見る思いがしました。
*「致知」は創刊から 38 年、編集長が 30 歳の時。すでに 68 歳であるわけで、「幾多の困難試練に見舞われながらも諸縁に恵まれ、今日まで歩ませていただき感無量の思い」と謙虚に言っていますが、大変だっただろうと拝察します。「10 年一区切り必死の 2 年」、確かに物事が成功するには、最低 10 年は必要ですが、ただ 10 年あればいいのではない。その間、寝食を忘れた必死の 2 年がなけれは物事は成就しないという教えがありますが、正にそういうことだったろうと思います。
*これらのことが理解できるのは、私も同じことを経験したからです。44 年前に同僚と二人で日比野設計を創業したわけですが、寝食を忘れ必死も必死で、「一心不乱・無我夢中」の創業期でした。同時に諸縁に恵まれという表現も、まったく同じで、多くの方々に応援いただきました。今、思うことは心から「感謝」することばかりです。もうすぐ 3 月には 75 歳になりますが、健康で「一生一事一貫」で歩むことができた人生を幸いに思います。
*こうして長く一事一貫で仕事をしてきた私から、若い方々にアドバイスしたいことがあります。充実した働きをするための 5 つの心得です。
?・常に「感性」を磨け。・・・「感性」の高い人は「感謝」の気持ちが高い人。それが「謙虚・素直さ」に発展していくのです。
2・「正直」であること。「正直」な人は強い人。裏表のない人は信頼を集めます。
3・「思考の三原則」・・・安岡 正篤さんの教えです。 ?「本質を見る」、 ?「物事は多面的に見る」、 ?「枝葉末節」に捉われない。
4・「本を読む」・・・本を読む人の言葉には説得力があり、力強さがある。洞察力を養うことのできる「本は知恵の泉」である。
5・朝食を毎日欠かさず一日三食をきちんいただき、常に軽運動をコツコツと心掛ける。
*人間関係や仕事でストレスをためない生き方。病気を予防する自己の健康維持スタイルを確立するところから始めてください。心身の充実こそ良い仕事を進める源泉であると確信します。・・・さあ・始めてください。
*今日 1 月 17 日は 21 年前に阪神大震災が発生した日です。神戸市を中心に各地では追悼行事が営まれるようですが、私達も震災の教訓や復興での経験などを社内は勿論ですが、国内外に発信しなければならないと思います。防災と減災について改めて誓いを新たにすることが大切です。犠牲者の冥福を祈り、遺族や被災者にもお見舞い申し上げます。・・合掌
ありがとうございました。
]]>私は最後の締めの挨拶を担当しました。読売新聞 1 月 4 日の一面広告にありました「売り手よし・買い手よし・世間よし」の昔から伝わる近江商人の家訓「三方よし」の話を説明しました。この話は当社でも以前から朝会議で度々話題にするテーマであることで、当社では「創り手よし・建築主よし・世間よし」であり、福祉研では「快・結・絆」の「三方よし」になるわけです。
その後、11 時から伊勢原大神宮に全員で出かけ、初詣祈願をいたしました。社員の一人ひとりが無病息災で活躍できますように、同時に、会社の業務が充実し、お客様の、社会のお役に立つことができますように祈願しました。宮本宮司さんが神前で一人ひとりの社員の名前を読み上げてくださり、感激しました。
*今年の正月は暖冬で雨もない日和が続いています。9 日から家族 4 人で伊豆の下田にて、テニスをしたり美術館に行ったり、何度も温泉に入浴したりで休養を楽しみました。遅まきながらはるか海の水平線から昇る初日の出を観ました。仕事においても個人生活においても、多くの皆様と楽しく過ごせる年にしたいものと願いました。
*さて、今日 11 日は成人の日です。TVニュースで各地の成人式が報道されていますが、何よりも感動しましたのは、東日本大震災の時、中学 3 年生だった若者が今年成人式に臨んでいたのです。亡き両親に報告している場面など、察するにあまりにもつらいところですが、本人達はこれからも頑張って生きていくと、明るく振舞っていたことに安堵いたしました。良き社会人に成長し、また次代を支えてほしいものと思います。
*我が家でも孫娘が成人を迎えました。先日、一足早く晴れ着を着て写真館で撮影していただいたわけですが、大きく成ったもんだと感慨ひとしおと言うところです。眞子・おめでとうございます。「親孝行を基本として、他人様のお世話のできる人に成長してほしいと思います。そのためには、読書を生涯続け、先生や先輩、同僚の話を良く聴き、考えて行動できる人に成長してほしいと願うところです。これは 1 年や 2 年の短期の教訓ではなく、こういう気持ちで、一生一貫して生き抜いてほしいのです。
*昨年末の読書は、NHKスペシャル取材班編集の2 冊、「長寿という悪夢・老後破産」「老人漂流社会」、 藤田孝典著「下流老人」について読みましたが、なるほど、老後の現実、世間では大反響とのこと、いつの日か報告するとして、今日は正月の読書から私の好きなフレーズを書いておきます。
古川智映子著「土佐堀川」を楽しみました。昨年の 9 月 28 日からスタートした朝の連続テレビ小説「あさが来た」の原案本ですが、ドラマのあらすじは「明治時代の商都大阪に溌剌とした女性実業家がいた」という内容は同じでも、小説の面白さはまた一味違いますし、登場人物や背景など、作者は事実を相当調査していると感じます。
*小説の中ほどに、主人公 広岡 浅子が渋沢 栄一に、「銀行を始めたいのでそれについて教えを請いたいと思いまして」と訪問し、秘伝を聞きたいと思ったのですが、渋沢「銀行経営にとって赤字を出してはいけません。また、一番大切なものは何だと思いますか」浅子に訊ねるのです。 浅子「何どすやろ、お金どっしゃろか」 渋沢「違いますな。あなたの回答は逆です。本当はお金は要らないのですよ」 浅子「お金が要らんて、納得できまへんな。それでは銀行が成り立たんと思いますが・・・」 渋沢「そう思われますか。そこが少し違うようですな。信用です。銀行にとって最も必要なのは、信用がおけるかどうかということなのです。信用がつくと自然に人がお金を運んでくる。預金する人にとっては、少しの不安があってもならないのです」 浅子「言われてみるとほんまにそうです。けど急に信用つけろと言われても、どないしたらええのかわかりまへん」 渋沢「さっき黒字と言ったのは数字の上だけの儲けを指しているのではありません。経営内容を充実させる・・・それが信用を生んでいく」 浅子「経営の充実ていうと」 渋沢「お金は一人で動きません。それを動かすのは人間です。金を預かる経営者への信頼が絶対にものを言う世界なのです」
渋沢「自分の腹を肥やすような商いをしてはなりません。大きな見地から、人間をつくっていくことも大切です」 浅子「人間をつくるて、どういうことどす」 渋沢「日本の産業振興のために働いてくれる誠実な人材をつくるということです」・・・大きな視野に立とうとする渋沢は、事業だけではなく、次代の人間の育成も考えている。浅子はこの点も深い感銘を受けた。
*どこからでも、何からでも、誰からでも学べるものです。これらの渋沢の言葉は明治時代のものですが、今でも新鮮で大いに感動しました。「人間をつくる・人間力を磨く」ことに関しては、私のコラムで何十回も書きましたが、書いてきた私もまだまだで、私を始め社員全員が互いに磨き合う必要があると思います。先人の言葉ですが、現代のどんな職業の方々にも共通すると思います。まずは個人の信用、会社の信用を築き続けること、今年もそういう生き方をしたいものと思います。
ありがとうございました。
こちらは藤沢市湘南台、午前 10 時、風もなく雲一つない素晴らしい青空です。私の年の幕明けは、日課の愛犬の散歩から始まり、清々しい気持ちです。
昨年は一昨年に続き、2 年続けて日本人がノーベル賞を受賞するとか、五郎丸選手などの活躍でラグビーに脚光があたるなど、色々と素晴らしいことの多かった年であったと思います。一方で風水害などで大変大きな被害が出た地域があり、避難生活が長きにわたるなどの困難な生活を続ける方々もいて、心からお見舞い申し上げます。
我が社におきましては、多くのお客様から仕事をさせていただき、心から感謝申し上げます。そうした仕事による作品が、社会から評価をいただき、色々な賞をいただきました。光栄なことと存じます。同時に益々の努力を求められているものと考えています。
建築は依頼主から私たちに仕事をさせていただいてから事が始まるわけで、それが関東各地や関西各地、沖縄や九州各地まで広がり、うれしい限りです。そこから社員たちの努力による活躍があり、社友の皆様や建材メーカー、工務店の皆様など、多くの皆々様との協働によって完成に至ったのです。社の内外において「心と力」を合わせて創ることが、どんなにすばらしいことか、私は過去 44 年も「建築の力」を身に感じてきましたが、昨年はまた一段と素晴らしく記憶に残る年でした。
さて、新年ですが、多くの先人が築いてきた歴史や伝統を謙虚に知り、学び、その上で経営も、創作も、技術も、さらに前進できればと願うところです。
それには、社員の一人ひとりが「人間力」を磨くことと併行して、歩みを進めていただきたいと思います。その原点は、両親や兄弟姉妹への感謝から始まり、この気持ちがお客様や周りの方々に通じるわけで、これが前回のコラムで書きました「至誠」を尽くすことになるわけです。
「置かれた場所で 咲きなさい」・ 渡辺 和子 先生の言葉ですが、奥が深く素晴らしいと思います。社員の一人ひとりが、今、目の前のプロジェクトにおいて、「至誠」を尽くすことにより、美しく個性的なあなたの花が咲くことだと思います。
今年も社員共々で「至誠」を尽くしますので、社会の多くの皆々様、お引き立て、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
主人公は吉田 松陰の妹 文〔後半は美和子〕ではありますが、前半は萩地方を中心に、吉田 松陰、高杉 晋作、久坂 玄瑞などで組み立て、後半は群馬の前橋地方を中心に楫取 素彦が県令として地方行政に取り組み、それを支える美和子という筋書きの脚本でした。
*私は後半の群馬県令・楫取 素彦と美和子に大変感動しました。この二人は今までの歴史では地味な位置でしたが、私も学ぶことが多かったと思っています。
『明治政府が発足したが、楫取は官職を断り、山口で明治初頭の藩政を取り仕切った。ところが明治 4〔1871〕年廃藩置県で長州藩は消滅。楫取は隠棲を望んだが、卓抜した行政手腕を政府が求めたのです。翌年に政府の辞令を受け、楫取は出仕する。地方官を歴任後明治 9 年群馬県の初代県令〔知事〕となった。』・・・産業の近代化、教育振興など、県の発展に大きく尽力したことは、現在でも「歴代随一の名県令」として顕彰されているようで、ドラマではあったが史実に基づいているとのこと。
ドラマでは 大沢 たかお さんが演じたが、情熱の人であり誠実の人であった。楫取は若いころ松陰より、『誠実でなければ何もできない。・・・事を成すは誠に在り。』という「至誠」の書をもらっていた。松陰の分身のように胸に刻み「至誠」を実践したのです。
昔の県令〔知事〕は政府の任命で、任期を大過なく勤め上げるのが普通であったと思います。明治政府は荒っぽい気風の上州を扱いにくい「難治の県」と呼ぶ一方、「富岡製糸場」を設立し殖産興業の地としても重視していた。何とか治めるように楫取に白羽の矢を立てたと史実にあるようです。
*視聴率は低かったようですが、私は毎回感動しました。来年は世界遺産になった「富岡製糸場」を訪問したいものと思っています。
*こうして「至誠」について学びましたが、どんな職業でも共通です。そこにお客様がある限り誠を尽くすのです。建築設計に取り組む社員の皆さん、お客様に、社友の皆さまに、工務店や建材メーカーの皆さまに、「千の 69」「真心」と同じで、「至誠」を尽くしてください。必ず貴方の周りの人々は貴方のために動き出すことでしょう。
*今年の一級建築士〔国家試験〕に、社員の二名が合格しました。誠におめでとうございます。一級建築士の試験は近年大変難関の国家試験です。一次試験合格者が二次試験に進むのですが、最終合格率は毎年 9〜11 %というところです。
おかげさまで、日比野設計グループ二社で 33 名中 17 名が一級建築士で、今後もお客様に充実した技術サービスをお届けいたします。
ありがとうございました。
月刊誌「致知」新春 1 月号が届きました。特集は「リーダーシップの神髄」です。一年の第一号に相応しい特集だと思います。なるほどと思える要点をまとめてみます。
*編集長が下記のように言っています。
『そこにどういう人がいるのか。・・大は国家から小は家庭に至るまで、複数の人間からなる集団は、それがどのような組織であれ、そこにどういう人がいるかで決まる。リーダーシップのあり方、その神髄が問われる所以である。』・・神髄とは奥義のことと辞書にありますが、奥義とはどういうことでしょうか。
*まず第一は、『リーダーは方向を示す人でなければならない。』・・確かにリーダーは理想や夢を熱く語れる人でありたいものです。
第二は、『人生には様々なことが起こる。リーダーは何が起ころうがへこたれない人でありたい。』・・確かに人は窮地に立つと、逃げるか、ごまかすか、あるいは病気になるか、そのいずれかを辿る人が多い。追い詰められた時に、その人の本当の値打ちが分かる。と、住友生命の元社長・新井 正明氏が語ることに、私もなるほどと思います。・・上智大学名誉教授の渡部 昇一氏は同じ趣旨のことを言っています。
頭がよく、人柄がよくても、ガッツのない人はリーダーたり得ない。と、ガッツこそ、あらゆることに先立つリーダーの条件であると言っています。・・なるほど。
第三は、『君子、未萌〔みほう〕に見る。』・・まだ事が起こらない前に、その前兆を察知して手を打っていく。と、いう意味でしょうが、時代の流れを読むこともリーダーに欠かせない資質であることも条件です。
第四は、『君子、時中〔じちゅう〕す。』・・「時中」とは時に当たって、その時に敵ったことをすること。また、「中」には「結ぶ」の意もある。矛盾していそうなことも、それを結んで、より高い創造を目指すこと。・・なるほど、先人曰く「福を無形につくり、禍を未然に消す」・・人の知らない間に福をつくり、起こる前に禍を防ぐとは、第三の前兆を察して、に通じることです。
第五は、『私心がないこと。』・・確かにその通りです。組織のことより、自分の都合が先立つような人はリーダーになり得ない。リーダーは、集団のために、損な役割を引き受けられる人でなければならない。・・稲盛 和夫氏曰く「会社は直接もの言わない。会社がどうしてほしいと思っているのかを考える。それが経営者である」と、これも第三、第四、にも共通することです。
*編集長の総まとめは、『あのドラッカーは、リーダーが絶対持っていなければいけないのは、「真摯さ」である。と、「真摯さ」とは真剣で誠実であること。先に挙げた五項目は、「真摯さ」があってこそ光を放つ。そして、この「真摯さ」の一貫持続こそが、その人の徳望の基になる。徳望こそがリーダーシップの神髄の至高である。』・・すこしばかり敷居が高いけれども、社の役員・社員は皆学ばねばなりません。
*私は、建築設計に関わる者すべてがリーダーであると言ってきましたし、男女の別もないのは当然です。チーフは勿論ですが、スタッフも数年先にはチーフに成長することを期待されています。建築が企画されてから完成に至るまで、大勢の方々とお付き合いし、「衆知」を集め決断すること、その人間関係の充実度によって建築の品質にまで影響するわけです。
一人ひとりの人間がリーダーとなり、リーダーシップに目覚めるとき、それぞれ、すごい充実した人生になることでしょう。
*「幼児の城」コラムで報告させていただいていますが、今年も色々な賞をいただき感激まだ覚めやらぬ時、年末さらに二つの賞を加えていただきましたことを、ご報告させていただきます。
*「第 21 回くまもとアートポリス推進賞 選賞」に、我が社が設計監理を担当した、「認定こども園 第一幼稚園」が選ばれました。熊本県による賞の趣旨は、『環境デザインに対する関心を高め、都市環境並びに建築文化等の向上を図るとともに、世界への文化情報発信地「熊本」を目指し、後世に残る文化的遺産を創造するための賞』であるとのこと、大変うれしい賞をいただきました。
*「第 1 回ウッドデザイン賞」に、我が社が設計監理を担当した、「土合舎利保育園」が選ばれました。今年から木材の使用を推進するために設定された賞ですが、「ウッドデザインアワード 2015」の「ハートフルデザイン部門・建築空間カテゴリー」の分野の評価です。公共性の強い子どもの施設に木材をどんどん使っていこうと取り組んできましたが、第 1 回の記念すべき賞で大変うれしく思っています。
*我が社の目標として、一つひとつの建築が地域社会に根付いていくことを目指して、設計監理活動を進めてきましたが、評価をいただき大変うれしく思っています。担当社員や社友の皆さま、建材メーカーや工務店の皆さまと共に喜びたいと思います。
ありがとうございました。
その後、姉妹会社「〔株〕日比野設計技術」を設立した趣旨説明と役員と社員の紹介をしました。続いて、今年の研修旅行の報告ですが、A 班はスコットランドとイングランドコース、B 班はオーストリア、クロアチア、スロベニアのコースで、これらはすでに「幼児の城」ブログで報告済みですが、改めて、大きな画面の映像と視察者の生の報告を聴くと素晴らしいことに感動しました。前回の私のコラムで「サスティナブル」のことを書きましたが、こうした社員研修も「サスティナブル経営」として、会社の経営が好調を持続し、毎年続けられれば幸いと思っています。
*「感謝の集い」第二部は、午後 6 時 30 分から宴会となりました。社会通念の忘年会という表現を使わないのは、辞書によれば、「今年は苦労したことが多かった、悲しいことも多かったなど、こんな年は忘れてしまいたい、だからパーとやって忘れてしまおうじゃないか。」と、言うのが語源のようで、私たちは、昨年もそうだったし、今年もうれしいことが続きました。こうしたことを来年も再来年も好調を続けていこうと、だから記憶しておきたい 一年なのです。だからこそ今年に感謝とお祝いの会なのです。こうした好調は、会社とお客様、役員と社員、社員と社友、社員と工務店の皆さまなどの業務におけるお付き合いにおいて、互いに「真心」であったことは、我が社の誇りとするところです。この互いの「真心」で業務を進めたのが、質の高い建築を創り築いたことであり、色々な賞の受賞につながった大切なことだったと思います。
*2015-12-5〔土〕・午後に「海難 1890」という日本とトルコ両国による合作映画を、ビナウォークシネマで鑑賞しました。
物語は 125 年前、『1890 年 9 月〔明治 22 年〕、オスマン帝国の親善訪日団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」は帰国の途中、和歌山県は現在の串本沖で台風に遭遇し、船は大破して沈没。乗員 600 名以上が嵐の海に投げ出され、500 名を超える死者を出す、当時としては世界最大規模の海難事故となった。荒れ狂う海で生命の危機にさらされたトルコ人を地元住民が台風の高波の中に身を投じ漂流者を助け上げるなど、献身的な救助活動を行い、乗組員の 69 名を助け救ったのです。』この話は実話で、トルコ国民が感銘を受けたことを教科書にも取り上げ、後世まで伝えられているのです。・・・私の郷土、和歌山は紀州の村人による「真心」を実践した実話です。
映像は、荒れ狂う海で難破する船の中での乗組員の人間模様から始まり、串本の村人が我が身の危険もかえりみず救助に立ち向かい奮闘する場面、救助した乗組員たちを主人公の医師と村人が協力して看病する状景、「どこのもんでも、かまわん ! 助けなあかんのや !」この見返りを求めない勇気と誠意、この「真心」にジーンときました。
*後半は、ガラリと場面が変わり、時代は 30 年前、『1985 年のイラン・テヘラン。イラン・イラク戦争の停戦合意が破棄され、空爆が続く背景から始まります。』この戦争は近代の史実として私も憶えています。『膠着する戦時下で、サダム・フセインが 48 時間後にイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別で攻撃すると宣言。この時点でテヘランに取り残された日本人が約 300 名、日本からの救援機も無理だとのこと。・・どのヨーロッパの国の飛行機も母国民を優先し、日本人は途方に暮れるのです。その時、トルコ政府が救援機を差し向けてくれるのですが、トルコ人脱出が優先だとトルコ人が騒ぐのですが、昔、トルコの戦艦乗組員が日本人に助けられたことを、トルコの青年が人々の前で語るのです。
青年曰く『今、絶望に陥っているこの日本人を助けられるのは、あなた達だけです。決めるのはあなた達の心だ。』・・・と、その言葉を聞いたトルコ人達は、かって日本人が示してくれた「真心」を思い出していく・・・。トルコの国民は日本人の脱出を優先してくれるのです。・・涙。』
トルコ国民の「真心」に、私もまた、ジーンときました。
*日本とトルコ、9000 ?離れた両国の人々が、人と人を想う「真心」よって叶えた奇跡と希望。言葉や文化の違いを超えた友情と絆を生み出すことを物語る映画でした。
*私は建築設計で何より大切なのは「真心」だと信じます。お客様と設計者が子ども達やお年寄りの快適な施設を創ろうとする「真心」は立場が違っても同じだと思います。映画から人と人をつなぐ絆、その「真心」を学びました。
ありがとうございました。
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*先の杭偽装事件では横浜のマンションが数センチ傾いたなどの話は別にしても、屋上防水の不備で雨漏りがしたとか、耐震スリットにより壁とサッシュの止水の関係などで雨が染み込むとかはよく聞く話で、これは直ぐ改善しなければならぬ仕事です。街角でよく見かけるのは、既存マンションに足場を掛け、外壁の吹き替えなど住民の積み立てた修繕管理費によって定期的に修理修繕をする工事などは、長く持続させるために定期的に手を入れることは大変良いことです。
官庁建築でも民間建築においても、長い間、機能的にも安定して使われ、内外の汚れも少なく、耐用の長い持続建築を理想とするところだと思って取り組んできました。完成後維持するのに経費の掛かる建築と、あまり経費の掛からない建築の差は建築の優劣を決める一つの要素でもあると思っています。今後も「サスティナブル建築」・持続力のある建築を創造することが、お客様への真の技術サービスであり、これに力を尽くすことにおいて設計作業を持続させたいものと思います。
*今日は「サスティナブル経営」について書いておきます。単純に言えば、会社の経営が長く続けられることですが、これがそんなに甘くないのです。会社というのは、司法書士にお願いすれば法務省に届け出る書類を作成してくれ、誰でもいつでも設立できます。これを持続させるとなると簡単ではありません。「10 年偉大なり、20 年おそるべし、30 年歴史になる」と、先人の言葉を借りて以前から私はよく引用しますが、社会のデーターでは登記してから 20 年で半分の会社が消滅しているとのこと、理由は色々あるとしてもこれは事実のようです。
*企業の持続性について、三菱総合研究所 理事長の小宮山 宏氏〔元第28代東大総長〕は、東洋経済誌の中で下記のように述べています。『社会的な課題に企業もきちんと対応しなければ、サスティナブルではない。今はそういう時代に入っていると私は考えています。ただし、そのことに気が付いていない企業もまだ多いのが現実です。社会的課題は、ビジネスにとってはニーズです。社会的課題にきちんと対応し、早期に解決していくことで、新たな需要、新たな経済活動、新たな産業を創出していくことができます。そういう意味では社会的課題をいち早くとらえ、課題解決に真剣に取り組むことは、企業にとって生き残るために必要なことなのです。』・・・日比野設計を検証してみます。
*日比野設計は創業昭和 47 年ですから、現在 44 年目を歩んでいます。創業から平成元年まで、昭和 48 年のオイルショツク後からの 17 年間は、バブル経済の登り坂で、社会は何業でも大忙しで、不動産と建築はものすごい勢いでした。こういう時代は社会がやれと言うものをなんでも設計したものです。さて、バブル経済が崩壊して、世の中は静かになりました。平成元年から 10 年間は、設計事務所も工務店も、仕事探しに大変な時代だったと思います。私はこの辺りから新聞や色々のニュースが、日本は人口減であり少子化高齢化社会になる、との記事が多くなってきたように思っていました。想えば運よく、偶然性などもあり、この時代に特別養護老人ホームや幼稚園の建て替えを担当することができました。これを現在まで持続させ、経営資源として推し進めてきたのです。
人口がどんどん減っていけば、社会保障など築いてきた社会の制度が成り立たなくなります。少子化に歯止めをかけなければなりません。若い夫婦の誕生を促進させ、子どもを産み育て易くする社会でなければなりません。社会の身近に、子どもを預けて安心できる保育園が多く建設されることが大切です。幼稚園は少子化で入園幼児が減って、各園の経営が下降線となってきたとよく聞きました。競争社会ですから、新しい耐震設計で清潔で明るい園舎を建設すれば、保護者の選択の眼にとまるのではと多くの園にアピールしましたし、幼稚園のこども園化のお手伝いもできました。
*当時から高齢化社会から高齢社会になることは、時間の問題だと言われていましたし、確かに特別養護老人ホームに入居したいお年寄り本人や、ご家族の要望が多いのですが、建設が追いついていないのは、当時から現在まで同じです。
今手元に、「下流老人」「老人漂流社会」「老後破産・長寿という悪夢」という三冊がありますが、この 10 数年の社会現象であることは間違いないと思いますし、これから団塊の世代の方々が入居を希望する時代であるわけで、「待機老人対策」は今後も大きな社会的課題でしょう。
*全国の建築士会が、7 年ほど前から専攻建築士の届け出を進めていますが、私達の事務所は 20 年ほど前から、「幼児の城」「特別養護老人ホーム」「障害者施設」などに特化する設計活動を続けてきました。この 20 年を振り返れば、小宮山先生が言う社会的課題を持って、それは、「待機児童対策」であり、「幼稚園のこども園化」、さらに「待機老人対策」という需要に対応してきたことは事実で、大変良かったと思います。
*まだまだ、上記の特化した設計活動は、社会的課題の持続という日々が当分続くものと思いますが、やがてまた新たな社会の需要が求められる時代となるでしょう。この対応が我々の企業価値の向上につなげることを常に心においておくことが必要かと思います。手始めに、社会的課題の一つとして建築技術の確立と充実について、去る 9 月に日比野設計の姉妹会社「日比野設計技術」を設立いたしました。今後、両社が「心と力」を合わせて、お客様に、社会に貢献させていただく所存です。
ありがとうございました。
*11 月 22 日は、「いいふうふ」の日であるとのこと、いつから言われているのでしょうか。いい夫婦なんて言われるのは他人から言われることで、謙虚であることを信条として生きている自分達から、言うものではないことぐらいは承知をしているのですが、2 年前に金婚式も済ませた者として、まだ二人とも健康で働いていること、ほぼ毎日の夕方、スポーツジムに通い軽く汗を流すなど、常識人として生きている夫婦として、厚かましくも許されるのではと思っています。
*「いいふうふ」の日のイブと言いますか、前日の 21 日は午後 3 時、東京宝塚劇場にて、住江織物株式会社の貸切公演に招待いただき、かってアメリカで大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカル「ガイズ&ドールズ」を、星組総勢 74 名が演じたミュージカルを観賞したわけですが、『所はニューヨーク、ギャンブラー達と改心させようとするキリスト教救世軍の面々の織りなす物語』を、実にコミカルに演出されていて楽しかったです。
最後のレビューなど、舞台のデザイン、照明、音楽、踊り子達の衣装など、この世にこんな美しい情景があるものかと驚くばかりでした。
*夜は宝塚劇場の隣にある帝国ホテルに一ケ月前から予約し、「いいふうふ」のイブを宿泊して祝いました。帝国ホテルは私が 52 年前に上京した時から承知をしていましたし、その頃はフランクロイド・ライト設計のホテルが低層であるが皇居の側で確りと佇み存在感のあるホテルでした。しかし、都心の一等地でありながら客室数が少なく、新しい時代の商業性を理由に建て替えられました。この時代の文化人による大きな建て替え反対運動も憶えていますが、1968 年、47 年前に解体され、愛知県犬山の明治村に移築されました。〔反対運動のせめての成果〕
その後新館では何回かはお茶ぐらいはラウンジでいただきましたが、いつの日か宿泊してみたいと思い続けてきたことが実現したのです。新館と言いますか本館ですが、47 年も前の設計ですから、最近の驚かせるようなハイカラなデザインではありませんが、ゆったりとしたパブリックスペースの取り方など、落ち着きと貫禄はゆるぎないと思いました。各所にライトの名残のレリーフや割り付けなどのパターンが織り込まれ懐かしくなりました。
*11 月 22 日・「いいふうふ」の日は、朝から地下鉄半蔵門線で押上に向かい、混み込みで昇れないのを承知でスカイツリーの真下に立ちました。以前にもコラムで書きましたが、デザインを言う前に日本の設計と施工の技術は大したもんだと言うことです。
その後、浅草に立ち寄り、浅草寺にお参りしました。三連休ですから人混みは当然のことと思っていましたが、仲見世通りなど人、人、有名神社の初詣並だと感じました。ここでも、外人観光客の数は日本人の数以上に思えました。こうして私達夫婦も勝手に「いいふうふ」に因んで記念し、浅草寺に拝礼し健康長寿のお礼をいたしました。
*今年は東洋ゴム事件や旭化成建材の杭事件などが起き、多くの建築主に不安を与えました。同時に、国、県、政令指定都市なども法令や規則があるとしても、地中のことゆえ調査にも限界があり、関係者全員が無力であることを感じたものと思います。何よりも、チェック体制の不備であったことが、建設界は多くの国民の皆様からの信頼を裏切ったことは間違いありません。考えて見れば、建築でも土木でも、現場における仕事の一部始終において、建築主や事業主〔お客様〕から、設計図と現場施工において、信用と信頼され任されているわけで、お客様が見ていなくても、「やるべきことはやる」のが「常識・良識」です。
どんな職業の仕事においても、法律や規則をどんなにきめ細かくつくっても、隙間ができるものです。その隙間を埋めてきたのが、日本人の「常識・良識」だったと思います。
*人間の社会はある面において、「当たり前ではないことを、当たり前にしてきた」ことがあるように思います。例えば、雑居ビルにおいて、避難通路であるから本来置くべきではない荷物を置いたところ、いつの間にかそれが定位置なってしまったようなことはよくあります。・・・遅刻や早退、欠勤などに無感覚無指導である会社は、それが当たり前になることでしょう。私は以前から、「五つの自」と「報告・連絡・相談」の大切さを唱えています。「自助努力・自己責任・自己判断・自律・自立」ですが、これこそ昔から日本人に備わった「常識・良識」であったと思います。このような姿勢で生きていくことが、人生を安泰にし、事業を長く維持し、お客様と社会に貢献することだと確信します。
ありがとうございました。
善行雑学大学には昨年入学したことを昨年のコラムで報告していますが、この大学は藤沢市や茅ケ崎市などの 65 歳以上 80 歳ぐらいまでの方々で、まだまだ学びたいという意識のある方々が誰でも入学できるのです。現在約 500 名ほどの会員学生が入学している大学で、毎月第三日曜の午後 2 時から 2 時間、講師による講演を聴くのですが、すでに 16 年も続いているのです。10 人ほどの世話人の方々の努力は並大抵のものではないと思います。昨年、神奈川新聞から地域活動について顕彰されたとの、すばらしい報告がありました。講師は原則会員学生から選ばれ、各界で活躍し一線を退いた方々ですが、官界、経済界、各学術学会など多士済々による心意気の無報酬による講演です。
確かに雑学とは上手い表現で、社会のあらゆる分野にまたがり、それぞれ名士の方々の生きてきた道筋やその道の深い話を、分かりやすく伝えてくれるのです。余談ですが、53年ほど前の学生時代に、意匠系の教授から「建築は雑学だ」と教えられましたが、この頃やっと、雑学とは「人間の生活百般、あらゆることに気配り、目配りして学ぶこと」と、分かってきたように思います。
*名士でも一線を引退したわけでもない私ですが、74 歳という年齢で会社にもまだ関わりを持ち、テニスを楽しんでいる元気のある者として、出番が回ってきたと思っています。私が話せることは、建築一筋で生きてきましたから、建築の話ですが、建築でも専攻建築士として一足早く取り組んだこと、「幼児の城」から障がい者施設、そしてお年寄りの施設までの特化した設計活動の話をさせていただきました。
*「幼児の城」と言えば、社員が燃える気持ちで取り組んだ作品の数々に、全国の幼児保育と幼児教育関係者から注目していただくことになりました。海外のデザイン雑誌に掲載されたり、TVの取材を受けたりの相乗効果についても話しました。また、全国の各所でゼミナールを開催すれば、大勢集まっていただき、それぞれの反響がありました。さらに中国からも視察いただき、仕事が成約した報告。まだ広い社会の行政では、待機児童対策が続いているわけで、今後も質を確保した園舎創りが大切であることを話しました。また、10~20年後でも母子手帳の発行から中学卒業まで、厚労省と文科省のこども関係管轄をまとめ、一元行政とする、「こども省」が実現したら少子化の解決の一つにならないかなど、個人的な夢の提案をいたしました。
*障がい者施設では、「郊外から街へ」というテーマで、健常者と障がい者が共存して助け合うことが大切だと話しました。また、「県央方面特別支援学校」が、2011-6 にプロポーザルに取り組んだエピソードや、「尚恵学園成人寮」のプロポーザルに取り組んだ姿勢などを話しました。
*特別養護老人ホームの創り方については、「快・結・絆」による三方良しの創り方について話しました。それは、 ? 入居者のお年寄りが快適な生活として日々暮らせること。 ? 事業主がホームを建設するにあたり、入居者から快適だと喜んでいただけること、介護職の職員から働きやすいといっていただくことなど、ホームを建設して良かったと社会貢献した満足感が得られること。 ? ホームが地域社会の拠点となり、「地域と福祉」について皆が参加できるホームであること。などを映像と共に話し、私は建築士であると同時に縁づくりの「縁ジニア」でありたいと講演を結びました。
*2015-11-12〔木〕・中国より「筆中展示」という会社を経営されている韓喜文社長・張勇副社長ご夫妻が、私達の沖縄や九州プロジェクトを視察の後、厚木の本社に立ち寄ってくださいました。私達に中国において、幼稚園の基本設計を担当してほしいとのこと、引き受けることになり、ご夫妻をお迎えし全社員で歓迎パーティーを催し、大いに楽しみました。
ありがとうございました。
*毎年のこと一週間も会社を全休にできませんから、ほぼ同じコースを一班と二班に分けての視察を実施しています。私は二班で 10 月 24 日に出国し、29 日に帰国する行程でした。すでに「幼児の城」のブログで、一班が視察した美しい建築の写真が掲載していますので、ご覧ください。
成田空港発午前 11 時 10 分・スリランカ航空 UL 455 便・空路直行便にて首都コロンボまで 9 時間 20 分。時差で 3 時間戻りますからコロンボの到着は夕方 5 時 20 分。日本に数年滞在したことのあるスリランカ人の、一班と同じ気の良さそうな小太りのガイドさんが出迎えてくれました。さあ~、ここからスリランカの旅が始まりです。
*昨夜は出国手続きの後、街の中華レストランで夜食をいただき、ホテルに着いたのは夜も 8 時過ぎ。25 日は朝食後出発は 7 時 30 分、中々ハードです。すでに首都コロンボの街は動き出しています。街の道路はトヨタや日産、ホンダなどの日本製乗用車や、インド・TATA製の三輪タクシーなどの軽自動車で溢れ渋滞しています。信号が少なく抜きつ抜かれつの運転はドライバーの腕にかかっているわけで、我々の乗車したマイクロバスも発信とブレーキの繰り返しで相当激しい運転です。
*コロンボの最初の視察は、郊外の湖畔から遠くに観える美しい大きな勾配屋根のスリランカ国会議事堂で、1981 年〔34 年前〕完成、バワさんの基本計画により日本の建設会社が実施設計と工事を担当した〔ODA・日本政府の開発援助〕ようで、あの元旦ビューティ工業さんが屋根工事を担当したと伺っています。日本政府も良い援助をしたと思います。
若い社員が視察先の施設を事前に勉強し、バスの中で交代で説明してくれたのは大変良かった。バワさんの建築を三件ほど視察をして、その後走って走って辿り着いたのは夕方で、ダンブラという地域の山の中。バワさんの仕事は海沿いのリゾートホテルを多く手掛けていますが、山の作品は珍しいとのこと、ジャングルに融けこむホテル「ヘリタンス・カンダラマ」です。岩の上に建設したホテルで岩の破砕は大変であったと思います。館内にはところどころに自然の岩が露出していました。翌朝 5 時、ホテルの周辺を散策しましたが、木々の中に、ホテルのベランダに、屋根に、猿、猿、猿が何頭いるでしょうか。人間と森と猿が共存しているようで、特に逃げたりしないのです。
大失態と言えば、私の部屋は 6 階でしたが、空気の入れ替えと思って 30 ?ほど窓を開けて朝食に出かけ一時間ほどで帰ると、無残にも部屋は猿に荒らされていました。無くなったサングラスは庭に捨てられて、庭の清掃員に拾われ無事でした。旅の笑い話です。
*「ヘリタンス・カンダラマ」で二泊しました。26 日はシギリヤ・ロックという 200 mほどの岩の上に築いた王宮跡に挑戦。一時間ほどかけた登山でしたが、史跡を観ながらで急な坂や狭い階段も思い出です。大昔の人々はどのように建設資材を運んでいたのか? 日本での山城もそうですが、想像を超える時間と労力だったと思いました。
*27 日はスリランカ第二の都市キャンディに宿泊し、話題の薬草園や紅茶の専門店に立ち寄ったり、スリランカは宝石サファイヤの産出する国とかで、宝石店や雑貨店に立ち寄り楽しみました。
*28 日はキャンディからコロンボにもどり、閑静な住宅街に保存されているザワさんの自邸を見学させていただきました。素朴なデザインで構成され、さすがに建築家の自邸です。光と影、風の流れなど、「閉じると開ける」バランスの良い個性的な住まいにさすがだと思いました。
最後の視察は「ジェツトウイング・ラグーン」というホテルで、二階建てのオレンジ色の瓦を乗せた勾配屋根は、大きなプールに面する美しさ、海を背景にした違った美しさに感激しました。社員達はここで一泊したいと口々に言っていましたが、再び個人旅行で訪ねれば幸いとなるでしょう。私も海辺やプールサイドで一日過ごしたいと思いました。
一路空港に向かい、19 時 15 分・UL 454 便で、成田着 29 日午前 7 時 35 分で無事帰国できました。
*総評・・実のところ不勉強で「ジェフリー・バワ」さんのことを知りませんでした。人口約2 千万人ほどの発展途上国にも優秀な建築家がいることが分かりましたが、情報不足であったことは事実です。情報とは発信することと、受信することの両方であると思いますが、スリランカの建築情報は少なく私には届いていなかったのです。私達の若い頃は国内は勿論、アメリカや欧州の建築情報が、歴史的にも、近代、現代においても、身のまわりに沢山ありました。
「ジェフリー・バワ」さんと言えば、1919 年コロンボ生まれ、2003 年に 84 歳で亡くなりましたが、30 歳代になってから英国に渡り建築を学び、その後世界を旅し、いよいよ 40 歳代でようやく創作に入ったとのこと。彼の残した建築はそんなに多くはありませんが、数々の名作であるホテルは今も輝いています。途上国における建築活動は、工業製品による建材はほとんど使用できないぐらい不自由ですが、当然のこと国にある素材で構成するわけです。素材とは自然の産物であり、取り入れる要素も「光と影・風・木材・石・コンクリート・鉄・石灰」で、パブリックスペースの内外の境など、サッシュによるよりも庇を深くして雨や風から守りますから、自然とシルエットが明確になり美しいのです。自然が御馳走でどのように自然を盛り付けするかがバワさんの力量で、忙しい現代人がここで癒されようとする気持ちも分かります。実に学ぶことの多い旅でした。
日本では工業製品が溢れていますから、最近の設計者はわざわざ素材を大切にしたとか、素材感をもって設計したなどと表現しますが、今更ながら素材について、素材の表現について深慮する必要がありそうです。
*2015-11-1・午後 3 時、東京は乃木坂・東京ミッドタウンにおいて、グッドデザイン展があり、観てきました。おかげさまで、今年も二つの九州のプロジェクトが選ばれ展示していただきました。グッドデザイン展は毎年のことですが、日本中のものづくりに係る方々の自信作が展示されるわけで、デザインとは人々の生活に関わる全てのジャンルに必要なものなのです。例えば、自動車、家電、家庭用品、戸建住宅、集合住宅などのデザインですが、私達の作品は「こども園」二題です。
このデザイン展は、現代の日本のデザインレベルを物語っているわけで、個々の生活やそれぞれの産業にデザインが必要であり、デザインがその企業のレベルであり、その企業の成長度も計れると思います。
私達の担当した「こども園」は、園の経営者の意識によって決まったと思っています。それは経営者が子ども達に良い環境で生活してほしいと願うところから始まるのです。設計者はその意識に応えて色々と提案し、「かた・かたち」ができてきます。「こども園」が子ども達、保護者、経営者などや地域社会の皆様共々共存し、地域社会の中で園舎が息づいていってほしいと願っています。
ありがとうございました。
]]>*私の初期のコラムにも基礎工事が重要であることを書いていますし、これは千古の時代の聖書にも出てくることなのです。聖書には『愚か者は砂の上に家を造り、賢い者は岩の上に家を造る』という教えがあります。大昔でも、砂の家は工事が易しく造りやすいが、一たび大雨が続いたり、地震が起きれば、基礎の下の砂は流れ不安定になり家は危ない。楽をして砂の上に家を造ってはいけないという戒めの教えです。反面、岩の上に家を造るのは大変です。岩を破砕しレベルを調整して基礎工事をするのですから、時間と労力は大変です。しかし、大雨でも大地震でも安心です。苦労を惜しまないで岩の上に家を造りなさいという激励であり教えです。
*現代建築では、地質調査を綿密にして、その資料に基づいて基礎設計をします。地盤が良いことは何よりで、安定していることは基礎工事が割安になります。その反面、埋め立て地盤やもともと軟弱地盤であったところや、丘を削り谷を埋めたりたりしながら新しく造成した土地もありますし、川が氾濫を繰り返しヘ下流にヘドロが堆積した軟弱地盤もありますが、現代建築にはこれらを技術的に裏打ちし、どんな状況の地盤であっても、やり遂げる対応技術力は日本の建設界には備わっていると言っても過言ではありません。建設界とは建築と土木の両方のことです。土木と言えば、先日、「ゴールデンゲート物語・夢に橋を懸けたアメリカ人」という本を読みました。1937-4-28〔78年前〕 に完成した世界一の吊橋では、二か所のタワーにはそれぞれ 約 3 万トンの死荷重と約 4 千トンの活荷重に耐えるタワーでありその基礎工事を激しい潮流の中、海底−30 mの所で築いたと書いています。すごいことをやるものです。日本の戦後の長大橋ではご存じ瀬戸大橋です。海底地盤の徹底調査、その上で対応する確実な基礎設計、そしてやり遂げる施工技術など、技術力は備わっているのです。建築も同じです。超高層建築から特別養護老人ホーム、「幼児の城」にいたるあらゆる建築に、基礎調査に対応する基礎設計、確実な施工をそれぞれが担当する部署でやり抜いてきたのが戦後の建築界です。
*どんなに優秀な技術で設計していても、優秀な施工技術があったとしても、それぞれの担当部署の人間が、責任を持って確実な施工がなされないのでは話になりません。
確かに、設計監理者、元請工事担当者、下請け工事担当者が技術的には優秀であっても、所定のことを所定の通り、言わば、仕様書通りやり遂げないことに意識があれば、それは不正です。『仕事が重なって忙しい、仕事の能率が悪く残業が続いている、体調不良、予算が厳しい、工期が厳しい、雨がよく降る、雪が降る、上司を好きになれない』など、逃げ口上の多い人は問題です。結局は「報告・連絡・相談」を密にする責任意識と協調が欠けている人は技術者として失格です。責任感を保てない「人間力」が欠けているのであれば、担当させてはいけないのです。
コラム〔千の61〕「人間学入門」の後半で、『嘘とごまかしは絶対にあかん』『人に迷惑をかけることは あいならん』ということを書きました。これは高度な技術のことではありません。どんな仕事に従事しても、「ならぬことは ならぬ」人間としての重要な基本です。
コラム〔千の60〕「不正の代償」の後半で不正とミスの違いを書きました。『不正はミスはではありません。ミスも無い方が良いのは当然ですが、チームでも個人でも全力で取り組んでいた上での、うっかりミスの過失とか、人智を超えて負の現象が現れたなど、これは速やかに是正し正常な軌道に乗せれば良いのです。』工期が遅れるとか、予算がかかるなどのことでも、後戻りする勇気が結局は安くつくわけで、ミスを承知でやり過ごした「不正の代償」は、その何百倍も高くつくことを技術者や企業経営者が知っておく必要がありますし、企業経営者は社員の倫理教育を常に徹底させることだと考えます。
*2015-10-19・午後 4 時 30 分・品川高輪プリンスホテルにおいて、「元旦ビューティ工業株式会社」の創業 50 周年の座席方式による 1000 人の大パーティがあり招待をいただき、うれしく参会させていただきました。誠におめでとうございます。舩木元旦社長が創業して 50 年ですが、成長を続けながらも苦難を乗り越えての 50 年で、それは舩木さんの人間力の具現化に努力したものだったと思います。私の好きな先人の言葉で『10 年偉大なり、20 年畏るべし、30 年歴史になる』がありますが、これが 50 年ですから、先人や古人も驚くばかりでしょう。
技術開発力とその製品、多くの人財と団結力、東京大学名誉教授・内田祥哉博士など多くの建築界の有識者の応援もあり、今後の成長も大いに期待するところです。
社会の設計者の多くも、良質の建材とその誠実な施工を評価をするところでしょうし、私も個人として応援させていただきますが、事務所としてもまた大いに期待するところです。
ありがとうございました。
*北里大学特別栄誉教授の大村 智博士〔80〕は、『微生物が作りだす有用な化合物を多数発見し、医薬品などの開発につなげた。大村博士が見つけた化合物は熱帯地方の風土病の薬などで実用化しており、医薬や化学研究の発展に大きく貢献した功績が評価された。・・・大村博士は昭和50年、静岡県のゴルフ場の土壌中で見つけた新種の放線菌から、寄生虫や昆虫をまひさせる機能を持つ抗生物質「エバーメクチン」を発見。これを改良し米製薬大手メルクが家畜の寄生虫駆除剤「イベルメクチン」を開発した。・・・この薬剤は57年、アフリカなどの風土病である「オンコセルカ症」にも極めて高い有効性を持つことが判明。メルク社が治療薬として製品化した。・・・「イベルメクチン」は世界保健機関〔WHO〕を通じ、アフリカや中南米などで述べ10億人以上に無償提供され、多くの人々を失明の危機から救った。』・ 新聞報道の要約ですが、とにかくすごいことだと思います。
*さらにインタビューを受けて・・・受賞できると思っていたか。『候補者といわれるのは立派な人ばかり。私の仕事なんて、そんなたいしたことないと思っていたので、まさかと思っていた。』・ 謙虚ですね。・・・誰に真っ先に喜びを伝えたいか。『研究室で一緒に苦労した人達にまず伝えたい。あと、家内は16年も前に亡くなったが、いたら本当に喜んでくれただろうと思うと残念だ。』・ 仕事とは多くのスタッフと共にあるわけで、スタッフを大切に思うところも謙虚です。さらに亡くなった奥さんに伝えたいとは、若い頃から支えられていたことえの感謝ですね。・・・どんな点が評価されたと思うか。『泥臭い仕事であってもコツコツと細菌を見つける仕事に精通してきたことを認めていただいたと思う。』・コツコツと仕事をすることを認められたなど、どんな職業にも励みになります。・・・研究者としての信条は。『世の中に役立つ仕事を一つでも二つでも余計にやりたいと思ってきた。それが、北里研究所の実学精神だ !』・ なるほど、レベルや環境とか業種が違っても、世の中に役立つ仕事ぶりは誰もが大いに学ぶことだと思います。
*大村博士は文武両道とのことにも驚きました。若い頃はスキーの選手で国体にも出場したとのこと、これもすごいことです。スポーツでコツコツと体を鍛え、研究生活の粘り強さに活かされたと思います。大村博士と同居している長女の育代さんは、『教育者としての一面を家庭でも垣間見られ、育代さんにはいつも、「嘘をつくな。周りの人を大切にしなさい。」と言い聞かされてきた。』・なるほど、これも大切なことです。
*北里研究所の実学精神だ ! については、私のコラム〔第889回〕・2013-07-04・「チームと個」の後半で、日本の偉人「北里 柴三郎」〔1852~1931〕・〔破傷風の研究をし、破傷風菌を純粋培養することに成功し、「免疫血清」とその療法を開発。現代なら確実にノーベル賞とも言われています〕を取り上げていますので読んでみてください。
100 年ほど前に北里 柴三郎博士が設けた北里研究所。設立者の精神が100 年も脈々と生き続けていることについては、広い社会ではそんなに多くはないのですが、北里 柴三郎博士から大村 智博士につながるのは見事な継承です。さらに、28 年前にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川 進博士の研究にもつながっているとのこと。『北里が発見し、利根川が解明した「抗体」100 年の謎。』とも医学界では言われているようですし、現代の医薬品会社である「テルモ株式会社」についても、1921 年に設立する時も北里博士が発起人となっているようです。もう一つつながりを加えれば、この北里 柴三郎がドイツ留学から帰国してから福沢 諭吉が北里を応援した。福沢の没したあと、二代目の鎌田塾長から「慶応に医学科を設けるのは福沢の悲願」であったとの相談を受け、即座に賛成し、「福沢先生の恩顧に報いるのは、この時である」と、設立の中心となり、1917 年北里柴三郎博士は初代医学学科長に就任したのです。この見事なつながりが、北里の実学精神です。すごいことです。
*うれしいノーベル医学・生理学賞のことを書きましたが、この数日、横浜の「マンションの杭、52 本中 8 本が支持層にまで達していない」との報道が続いていますが、さらに技術的な不始末が拡大しそうですし、入居している方々のご心配やご意向などや、工事の元請責任、一次下請け責任、二次下請け責任、それぞれの工事監督責任、監理者責任など大変な問題で、解決に手間取りそうです。私の先日のコラム〔千の60〕「不正の代償」において、VWのジーゼル車の排ガス不正問題を書きましたが、企業の技術不正は許されるものではありません。近いうちにまとめてみたいと思います。
ありがとうございました。
それにしましても、日本の大中小のメーカーはすばらしいと思いました。福祉の充実度で文化国家のレベルが分かるとは、私の個人的な意見ですが、あの広い展示場が技術力を売る各社の福祉機器の展示で所狭しと言うところでした。
また、大勢の参観者に驚きました。メーカー側の人達、機器を導入しようとしている老人ホームなどの介護関係者、介護を必要としている車イス利用者や介添えの方々、それに中国などからツアーで来ている視察団など、大変な賑わいでした。
*ラグビーのワールドカップに国内が沸いたのは久しぶりだと思います。日頃ラグビーを観戦しない女性達も、にわかラグビーファンとなり、ラグビーがこんなに面白いのかとの声もありました。しかしこのコラムを書いている現在、11 日の朝ですが、昨夜のスコットランド対サモア戦でスコットランドが 36 対 33 で勝ちましたので、今夜、日本がアメリカ戦に勝ったとしても、決勝トーナメント進出できない〔なぜ、同じ 3 勝でも ?〕ことが決まったようです。
残念ですが、イギリス発祥のラグビーでも日本チームがここまでやれたのか、今後が楽しみです。アメリカと言えば、大抵のスポーツが強くて、スポーツ大国であるわけですが、ラグビーが弱いのはどうしてだろうかといつも疑問に思っていましたが、なるほど、ラグビーがイギリスからアメリカ大陸に渡ってから、アメリカンフットボールに進化したからだという説に納得です。
*今大会の日本人選手の活躍は世界のファンを驚かせましたが、中でも際立っていたのは、五郎丸 歩選手だと思います。正確なキックは世界レベルですが、「ボールを置き、3 歩下がって 2 歩横へ。腰を落として右手を前へ押し出し、両手を合わせて拝むようなポーズ〔子どもの頃の忍者遊びのようなポーズ〕。」五郎丸選手はキックの前に必ず同じ一連の予備動作を行います。「ルーチン」と呼ばれる独自の流れです。「ルーチン」を決める理由は「どんな場面でも同じキックを蹴ることができるよう、安定性を求めている」と、スポーツ評論家達は述べています。以前はなんとなくやっていた動作だったが、日本代表の荒木 香織メンタルコーチと共に作り上げたとのこと。荒木コーチは「周りの歓声による集中の乱れや、もし入らなかったら、という雑念を取り除ける」と効果を語っています。・・・ここまでは新聞各紙のスポーツ欄の共通する記事です。
この「ルーチン」に着目した社員が、10 月 5 日の朝会議で発表したのです。十分なやる気を感じましたし、今後の成長が楽しみです。
*私の昨年のコラム〔第966回〕・「長の一念 その 2」の後半で、スポーツライターの二宮清純さんの言葉を引用して書いています。『一流選手は「正しいルーチン」を持っている。ルーチン・〔routine〕とは日頃の努力や工夫。決まった手続きや手順、日課。・・・スポーツやビジネスの成功者が実践を続けている。これを説明するにはやはり大リーガーのイチロー選手ではないか。イチロー選手は大リーガーとして、決して体格的に恵まれているわけではありません。それを補って余りある俊敏性やキレを保っています。・・・ゲーム前に早めに球場に入り、念入りにストレッチを繰り返します。試合中でも守備の合い間、打席に入る前などストレッチや屈伸運動を欠かしません。・・・日々の「ルーチン」の中で入念なケアを施し、アクシデントを招かないようにしているのです。』と述べているのです。
*仕事は違っても、朝起きてから会社のデスクに座るまで、夜寝る前など、自分なりの「ルーチン」を確立するのは大変良いことです。これも思いついた時ではなく、一年、二年、三年とほぼ毎日続けるのです。やっぱり「5つの自 : 自己責任・自助努力・自己判断・自立・自律」を確立した者の証となるでしょう。
*コラム〔第697回〕「運とツキの法則 その 3」で、スポーツドクターの辻秀一さんが「ルーチン」に共通することを述べています。『今、トップアスリートや成長企業が実践し、著しい成果をあげているフロー理論。辻さんはこの理論を広めるために多方面で活躍しています。・・・「運とツキ」を掴む心得とは・・「揺らがず・とらわれず」・・フローになるための三大条件・・その 1、外側の出来事ばかりに気をとられないで、脳を内側に向かせ、自分の感情に気付く練習を徹底的に行う。・・その 2、フローでいることの価値を認識。フローの方が仕事の効率が良くなる。夜ぐっすり眠れる。フローが起こった先にどんな良いことが待っているかを考える。・・その 3、嫌だなぁ・・。というようなノンフローな心を人間は生み出してしまう。こういう心に支配されない。・・これらの条件を基に心をフローにする四大ツールとは「表情・態度・言葉・思考」。』うむ~。なるほど・すごい !・・これも継続することが成果への道だと思います。
ありがとうございました。
]]>*日本企業の特徴と言えば、大家族的な経営ではないかとも牛尾 治朗さんは言っています。三年前にベストセラーになった「海賊とよばれた男」の主人公のモデルが、出光興産の創業者である出光 佐三さんで、戦前戦後を通じての会社経営理念が家族主義経営であったわけで、生涯貫いたことに、読者としても小さな会社経営者としても、感動したことを忘れません。実話をフイクションで構成した小説ですが、出光 佐三という人物は企業経営者として、一人の人間として、家族の長として、一本筋が貫いていたことは確かなことであったと信じるところで、胆の据わった人物であったのです。
*「古き良きものを堅持しつつ、新しきものを積極的に取り込んでいく」とは、牛尾 治朗さんの言葉ですが、先の出光 佐三さんもそういう人でした。私はこれを「不易流行」と言って、 30 年程前から経営と建築創りに取り入れてきたのです。構造改革とか技術革新は大切なことですが、これは、守るものは守りながら、変えるものや切り捨てるものも大胆に進めると言うことです。
*「不易流行」について過去のコラムでも度々書いてきましたが、大切なことなので、若い方々のために、復習することにします。
「不易」とは、気候風土、春夏秋冬、花鳥風月など、自然界の変わらないこと、また、人間の情愛など人間としての基本的な気質とその生活は、科学技術がどれだけ進歩しても変わらない領域です。これに対して「流行」とは、変化することです。道具立てやシステム、技術革新により捨てるものと新たに採用するものなどのことです。私は「不易」と「流行」のバランスの良い設計を心掛けたいものと常々考えていますが、どんな職業のことでも共通だと思います。
*致知出版社刊行の「人間学入門・仕事は人間力で決まる」の中に、大和ハウス工業会長の樋口 武雄氏のページがあり、「我が熱湯経営の歩み」として熱く語っています。その中で「嘘とごまかしは絶対にあかん」「人に迷惑をかけることは あいならん」という一節に、「これは子どもの頃の祖母の教えです」とありました。お客様に対して、部下に対して、生活信条にしていると書いていましたが、現在 77 歳にして意気軒昂です。
*「嘘とごまかしは絶対にあかん」とは、今、正に世界中の法人と個人に伝えることで、前回のコラムでVWの不正を書いたばかりですが、数年前の食肉偽装事件、酒造界の新米と古米事件、建築界の強度偽装事件、金融界の運用偽装事件、振り込め詐欺事件など、世の中には嘘が蔓延しています。・・・もしもこれらの事件の関係者が「仕事は人間力で決まる」と人間力を磨こうとしていたら、「ならぬことはならぬ」として事件に踏み込まなかったと思います。・・・また「一灯照隅」のことですが、「人は皆、一人ひとりが一灯となり、自分のいる場を照らして生きようとしている」ならば、まず、不正は起こらないでしょう。
*おかげさまで、今年は「キッズデザイン賞」などに、複数のプロジェクトが入賞しましたが、一昨日、あの伝統の「グッドデザイン賞」に、二つのプロジェクトが入賞したとの知らせがありました。ご報告させていただきます。「幼児の城」ブログをご覧ください。
ありがとうございました。
]]>*今週の驚きの大ニュースは、独フォルクスワーゲン〔VW〕の排ガス不正問題が起きたとの深刻な報道です。これは日本の国産車には問題はなく影響も限定的だと思いますが、ジーゼル車イメージの低下は迷惑な話でしょう。新聞各紙やTVニュースの要点をまとめてみます。
乗用車と言えば、トヨタとVWが世界で 1000 万台を超す販売で 1 位 2 位を競い、米ゼネラルモーターが 3 位というところです。しかし、米国内でのシェアーではVWは低く、トヨタ、ホンダなどに及ばないのです。当然のこと、VWは米国内の不振が課題だったのです。08年のリーマンショック以後の景気低迷で燃費競争が激化したのは事実です。トヨタやホンダは御存知のハイブリッド車で攻勢をかけ、VWは「力強い走りと燃費の良さを武器にしたディーゼル車」を売り込んだのです。
*私などの素人でも分かることは、厳しい排ガス基準をパスするには、有害物質を取り除く浄化装置を開発し装備しなければなりません。当然コストがかかります。同時にパワーが落ちるのでこれを解決しなければなりません。車だけではありません。工場でも排煙を浄化するための装置や、排液を浄化するなどの装置はコストがかかるのです。環境保全にはそれなりのコストがかかること、ディゼル車のパワーはトラックやバスで明らかです。しかし加速や減速を繰り返す走行で浄化装置をフルに稼働すると、燃費が悪くなりパワーも低下しハイブリッド車に勝てないのです。
*そこで技術陣の考えたのは、排ガスの試験には燃費など関係ないので、不正をしてでもこれをパスさせ、一般走行の時は、浄化装置を使わないように切り替えるソフトを組み込めば、パワーと燃費の良さを確保できることにしたようです。走行時は規制基準の 40 倍の有害物質〔窒素酸化物など〕を排出していたようです。・・・このソフトを開発する技術はすごいと思いますが、不正技術です。企業の焦りでしょうか、期待に応えられない技術陣の悪質な近道技術でしょうか。国を裏切り、ユーザーを裏切った代償は・・・。
*不正の代償は実に高いものです。米メディアによると、米当局は大気浄化の法令違反で 2 兆 1600 億円の民事制裁金を科す可能性があると書いていますし、問題車両は世界で 1100 万台に上り、このリコールの費用も問題ですし、集団訴訟にも対処しなければなりません。
思いだしていただきたいのですが、欧州ではドイツがすべての環境基準の厳しい国なのです。電力など太陽熱発電とか自然力によるなどは、日本などよりずっと早かったのです。そのドイツ国内でこの問題車両が 280 万台が走っているとのこと、国民は許さないでしょう。なによりブランドの失墜はこれから数年の販売の停滞です。これが生産の減少となり部品などの協力会社などの経営にも影響し大変ですし、工場で働く人達の雇用を守れるのか大変なことが続くわけで、社長はじめ経営陣の総退陣は当然としても、不正の代償は宇宙的な額になるものと思います。
*想えば、今年は国内で東洋ゴムによる免震ゴムの不正事件がありましたし、東芝の不正経理など、とにかく不正の代償は高いものです。
*企業の役員・社員が不正をしてまで業績をあげるとか、法令に違反するなどは、大・中・小のどんな企業においても、許されるものではありません。不正はミスではありません。ミスも無い方が良いのは当然ですが、チームでも個人でも全力で取り組んでいたが、うっかりミスの過失とか、人智を超えて負の現象が現れたなど、これは速やかに是正し正常な軌道に乗せれば良いのです。これとてもそれなりの経費が掛かりますが、この過失による反省と経費は今後に生きてくるでしょう。不正は知っていて行う犯罪です。これは許されません。・・・不正は絶対してはいけない。これを防ぐために企業では役員・社員が人間力を鍛えねばなりません。
*『求道は一生のことである。冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐える。これをもって大事をなす』・・安岡正篤・東洋思想家
*『謙虚にして驕らず、さらに努力を』・・稲盛和夫・京セラ名誉会長・JAL会長
*『能力の差は 5 倍、意識の差は 100 倍』・・永守重信・日本電産社長兼会長
*『かってない困難からはかってない改革が生まれる。かってない改革からはかってない飛躍が生まれる』・・松下幸之助・バナソニック創業者
*さあ・・・「信頼される人、人間力を身に付けた人」が集まる職場環境創りと、真のお客様のための建築創りを仕事として併行させるのです。
ありがとうございました。
]]>
箱根の大涌谷の火山活動も終息近しということで、安心領域も拡大されましたので、私も 21 日は箱根の強羅で一泊しましたが、観光客がどの地域でも賑わっていましたので、箱根の方々共々、箱根が大好きな神奈川県民の一人としても安心するところです。
翌 22 日は箱根峠を越えて三島に出て、三島大社にお詣りし、その後大社から歩いて数分のところに桜川という清流があり川辺を歩きました。富士山の湧水が流れる実に美しい川で、昔から名のある作家たちが情景を表現していることは有名です。市ではここを「三島水辺の文学碑」と称して、由緒ある作家などの詩碑を何基も建立したのです。因みに、井上 靖、正岡 子規、松尾 芭蕉、若山 牧水、司馬 遼太郎などが、散策する者を楽しませてくれました。
*帰路は渋滞を避けようと東名沼津 IC を 13 時 30 分ぐらいに入り、厚木 IC まで 1 時間ほどで着きました。その後ニュースによると 15 時 頃から上りが混み始め、夕方から夜は 40 キロほどの渋滞であったとのこと。
思い立って 15 時過ぎに海老名市内に完成引き渡しの近づいている「県立・自立支援学校」に立ち寄りました。休日だから現場は誰もいないだろうと思っていましたら、役員や社員が 3 名ほどが検査の下準備をしていました。現場の監督さんや作業員など 10 数名が、清掃や磨きをかけていました。完成引き渡し直前と言えど連休中の作業です。その責任感には頭が下がりました。ご苦労様でした。
*先週は色々なことがありました。国内のことでは「安保法案」が 19 日未明に国会で成立したことです。連日、国会前には大勢の反対する国民がプラカードを掲げ、大声をあげて反対運動をしていたこと、国会内では民主、共産、維新の各党がものすごい抵抗をしていました。参院の特別委員会の委員長席周辺は、与野党の攻防はとにかく激しいものでした。本会議での「不信任」などの連発や投票の牛歩戦略なども大変なことでした。考えて見れば、与党は「自国の存立と国益を守る・戦争にさせないで平和を守るための法案であり、同盟国と守り合う。憲法違反ではない。」との主張であり、野党は「これは戦争法案であり、日本はまた戦争することになる。憲法違反だ。」と主張し論議は中々噛み合いませんでした。
私も戦争は絶対反対です。平和を守る民主国家の日本だと信じます。しかし、隣国の一党独裁による覇権主義大国が軍備をどんどん増強しています。北朝鮮など小さな国ですが、核などを装備したミサイルなどで脅しをかけてきています。平和を守るために国を防衛するとはどういうことでしょうか、現代は国は一国では守れないと思います。同盟国と守り合うことを掲げることで、大きな抑止力になると私は信じます。今後において、国民の一人ひとりが、平和、平和、平和を守るために、政治を常に監視する必要があると思います。
*産経新聞・2015-9-16 付け「きょうの人」欄で、一柳 良雄さんを紹介していました。元通産官僚。中央官庁の局長クラスがゼロから会社を設立。人材育成会社の「一流塾」を 8 年前から運営し、経営、政策コンサルタント業務を手がけてきた。これまでの卒塾生は 282 人。そのうち会長、社長は 44 %を占め、「経営者養成所」となっている。天下りを蹴ってまで独立したのは「世界から尊敬される国」「若者が夢を持って生き生き挑戦できる国」づくりの一助になりたいとの思いと、根っからの旺盛なチャレンジ精神から。政・官・財・学界のみならず芸術家も講師陣に加わる。塾生への教えは『人間力を付けろ。また会いましょうと言われる魅力的な人物になれ』。
*一柳 良雄さんのことも「一流塾」のことも魅力的ですね。私も大賛同です。私も我が社の社員が人間力を付けた人物になってこそ、良き建築を創作し、「お客様に信頼される人」になれる、それは「魅力的な人物になること」だと、コラム〔千の56〕で書いたばかりですが、私がコラムをこれまで千回書いてきた真の意図は、社員一人ひとりが一流の道を歩もうと、精神を「自立・自律」させることなのです。
ありがとうございました。
]]>*職務とは言え、茨城県警をはじめ神奈川、埼玉などの 7 県警と警視庁、陸上自衛隊、海上保安庁など、機動隊や職員の皆様による昼夜の活動で大勢の方々を救ってくださいましたこと、大変ご苦労様でした。とくにそれらの所属するヘリコプターが、38 機で両日で 1145 人を救助したと報道にありました。救助された方々とご家族の方々、地域の多くの皆様も感謝されているものと思います。
*先日の 9 月 1 日は「防災の日」でしたが、関東大震災を忘れないために設定したとのことですが、確かに地震国日本は、日本列島のどこでいつ大きな地震が起きても不思議ではないと言われていますが、これからは、地震と豪雨には特に大きな備えと常々の意識が重要だと思います。災害国日本は「学習と反省」について、大昔から繰り返してきたわけで、この豪雨で、日本全国の一級河川における土手の点検と改修を、先手でやるべきだと痛感しました。同時に、過去に河川の氾濫した地域では、大きな遊水地を適所に建設することも必要だと思います。
*さて、表題の「面白きこと」ですが、コラム〔第859回〕・2013-02-27 で書いています。〔千の56〕で建築設計者として何が大事かということを書きました。腕がいい・すなわちデザインをさせても一流であり、技術的にもレベルに達している。・・・しかしなあ・・・人間がねえ・・・鼻つまみなんだ・・・チームの一員として協調性が無いし、お客様の前でも今一つ信頼されない・・・現場に出ると工務店の方々とギクシャクする。
ドラマの人物のようですが、昔はどこの会社にもこうした特異な人はいたもんです。私の務めていた若い頃も周りにいましたよ。私は現代における建築の設計行為は、規模的にも、予算的にも、工期的にも、デザイン、技術、法令、工法の選択、構造、設備など複雑多岐にわたりますし、建築は一人ではできないと信じています。お客様と協働設計をする信頼関係、チーフとスタッフの信頼関係、工務店の皆様との品質を維持する信頼関係など、一人ひとりの人間力による、それぞれの協調の中から良い建築が創られると信じています。
*内外の作業の中で、仕事をする時は真剣に、息抜きの時は大いに笑い合えることが理想だと思っています。面白おかしな仲間の集まる職場でありたいものと常々思っています。
*3 年前のある日、月刊誌「文芸春秋」を読んでいましたら、作家の万城目 学〔まきめまなぶ〕さんの、「私とお伊勢さん・面白き内宮」と題しての一文がありました。私は信じても良いと思える一説がありましたので改めて要約を書いてみます。
『そう言えば、この「面白い」という小説家にとって、もっとも大事にすべき感性を表す言葉のルーツの一端が、実はこの内宮〔ないくう〕にあるという話を聞いたことがことがある。・・・内宮に祀られているのは、言うまでもなく天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕である。天の岩戸にお隠れになった天照大御神を引っ張り出そうと、神々が外でどんちゃん騒ぎを繰り広げ、そのあまりに楽しそうな様子に、うっかり天照大御神が岩戸から顔をのぞかせてしまう。それによって暗黒に覆われた世界に光が戻る。・・・という有名なエピソードがある。このとき、「面白い」なる言葉が生まれたというのだ。・・・すなわち、世に光が戻ったことを喜び祝う神々の顔が白く輝いた。面が白くなるくらい空を仰いで大笑いしたことが「面白い」を導いたというわけだ。』うむー。・・・神話としての原典があるのかは別にしても、後世になって作られた俗説であっても、・・・私は「面白い」と思います。
*明るく楽しい職場・「面白い」職場から誕生する建築作品が、お客様にうれしく「面白く」受け止めていただき、建築を使う方々、住まわれるお年寄りや子ども達が健やかに「面白く」生活していただければ最高です。・・・「幼児の城」ブログを観てください。完成した園舎で「トン!カチ!カチ!トン!」なるワークショツプで子ども達が楽しいエプロン創りをしています。・・・「面白きこと」の実践の一つです。
ありがとうございました。
]]>*こうした休養期間に 9 月 3 日の昼TVをつけると、中国の軍事パレードを映していました。抗日戦勝 70 年を記念する式典ということですが、軍の増強と精鋭化を一段と鮮明に進めたことを世界に誇るパレードでした。米国を射程圏内に収める長距離弾道ミサイルなども公開され、兵士たちの一糸乱れぬ行進共々、見事なパレードと言いたいのでしょうが、私の個人的な見解は無意味だと思います。約230 万人を超える兵士を擁し、これだけの軍備を常に整備をしながら保有するのに毎年何千億円かけているのだろうか、これまで軍備に何兆円かけただろうか。経済雑誌や新聞の中国関連記事を読む範囲ですが、中国は確かにこの 10 年経済成長を続けてきたことは事実ですが、沿岸部と山間部〔農村〕の経済格差が大きいことや、富裕層と貧困層の格差もとにかく大きいと書いています。他国の部外者の意見ですが、やはり軍事費を削減して貧困層対策に回すなどして、個々が自由に発言できる民主的な平和な国家を整備建設してほしいと思います。
*パレードには西側諸国を招待したようですが、日米独仏英など、G7 の国のトップは出席していなかったようです。韓国の朴大統領が出席し、ロシアのプーチン大統領共々、約30カ国の中でも良い位置にいました。中韓の経済関係の伸びや北朝鮮を牽制する兼ね合いなどを考えての出席だと思いますが、アメリカなどの同盟国の欠席要請もあったとのこと、その上での出席は心中、大変苦しいところだったのではと拝察いたします。
*2013-03-10・〔第862回〕のコラムで、「中国は自滅の道を進むのか」ということを書いています。〔第855回〕で大気汚染のことを書いていまして、その続きなのです。3年程前から北京の空と言えば、「PM2.5」という微小粒子が大量に飛んでいる灰色状況で、ひどい時は街は視界不良だとのこと、時には市民に外出を控えるように通達が政府から出るほどであり、河川は工場排水で茶色に濁っているなどのことを書いています。・・・自滅の道とは、「風が吹けば桶屋が儲かる」論法のことで、やみくもな経済成長のために、世界の工場とも言われました。工場では増産を旗印に無秩序な生産により、排煙と排液により空気は汚れ、川は濁りました。人々は汚れた空気を吸い続けたり、排液の流れた川の魚を食べたりすると国民は病気になります。中国国民の大半が体調不良となり、病院に行くが現状の医療機関と医師の数では対応できない。よって病人大国になり国の生産性が大幅にダウンし、経済大国世界第二位の位置がおかしくなります。・・・経済大国より国民の命が何よりも大切です。
*振り返れば 40 数年前日本も三重県の四日市の大気汚染、新潟県や熊本県の河川汚染で病人が大勢出て、裁判が長く続きました。その後、環境基準や環境技術を確立し、国民がようやく安心できる社会になったのです。中国も日本の過去を学習として活かすべきだと思います。日本政府も企業も協力するものと思います。とにかく日中友好において互いに協力し合うことだと思います。
3 日の軍事パレードのために 1 カ月も前から、工場の操業を止めたり、郊外から北京に乗り入れる車を各曜日によって、偶数と奇数のナンバー以外は乗り入れられないなどの強権を発動して、青空を呼び戻したとのこと、確かに当日のTVに映る空は見事な青空で、さすがに強権はすごいと思いました。しかし、大気汚染の解決は抜本的な基準や制度をつくり、市民や企業の賛同を得て、恒久的に実践しないとまた大気汚染に戻るものと思います。中国国民の健康のために日常が青空であるよう願っています。また、日中友好、隣国の同朋はせめてもの民間の市民外交において、何事も学びあい助け合う交流を実現する必要があると私は思います。
ありがとうございました。
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*表題の「渾身満力」は、2013-03-09・コラム〔第861回〕で書いていますが、これは当時の月刊誌「致知」4 月号の特集テーマでした。「渾」は「すべて」の意。即ち、全身全霊をかけて物事を成すことが「渾身満力」のことで、これは画家の中川 一政氏の、生き方を貫いた言葉のようです。確かに、一道を極め、名を成した先人の多くに通じる言葉だと思います。
*その「致知」では、森村グループ〔TOTO・日本碍子・ノリタケなど〕の創始者・森村 市左衛門の言葉を紹介していました。明治 40 年、68 歳の時にある雑誌に発表した談話の要旨は次のようなことです。『人は正直に全身全力を尽くして、一生懸命に働いて、天に貨してさえおけば、天は正直で決して勘定違いはありません。人を当てにして、人から礼を言われようとか、褒められようとか、そんなケチな考えで仕事をしているようでは、決して大きな人物にはなりません。・・・労働は神聖なもので、決して無駄になったり骨折り損になどなりません。正直な労働は枯れもせず、腐りもせず、ちゃんと天が預かってくれます。どしどし働いて、できるだけ多く天に預けておく者ほど大きな収穫が得られるのです。私は初めからこういう考えで、ただ何がなしに天に貸すのだ、天に預けるのだと思い、今日まで働いてきたが、天はいかにも正直です。30年貸し続けたのが、今日、現にどんどん返ってくるようになりました。』・・・なるほど、奥が深い話です。天がいかにも正直で返してくれるなど、謙虚な表現ですが、〔TOTO・日本碍子・ノリタケなど〕は100年企業となり、現代でも優良企業として社会になくてはならない企業です。創始者の心意気が現代まで脈々と続いています。
*最近、引退が近づいている私は、40 年を振り返ることが時々あります。建築設計者〈建築士・建築家〉として何よりも大事なこと、大切なことはなにか ? この設問に尽きると思っています。・・・お客様に「信頼される人」になること。建築は一人では創れません。チームの一員として「信頼される人」に成ることです。
*「信頼される人」とはどんな人でしょうか。
保育園やこども園、特別養護老人ホームなど、建築事業主は何億円あるいは何十億円という事業費を投入します。何年も事業企画を胸に温め、やっと建設を決断したのです。これから何十年も多くの人々に使っていただくのです。園舎で毎日生活する園児のため、あるいはホームに入居されるお年寄りには「終の住まい」となるでしょう。また、それぞれの職員が職場として働く場であるわけで、事業主から「信頼される人」でないと設計者として務まりません。建築は設計して終わりではありません。工事が完了しても終わりではありません。完成後、建築がある限り「信頼される人」であってこそ、その後のお付き合いがまた始まるのです。
*「信頼される人」とは魅力のある人です。それは自分自身を磨きあげた人のことで、私は常々人物を磨けと言っているのはこのことです。社員は「どうすれば人間を磨けるのか」と自問し悩むこともあるでしょうし、私もよく聞かれます。
*急がなくてもよいのです。〔近道を探そうとするな・近道はない〕と思います。自分で考え、悩み、答えを見つけ出すのです。個人的には、読書や映画から感動を経験するのも良いでしょう。旅をするのも良いでしょう。スポーツを観戦したり自らプレイするのも良いでしょう。仕事においても、スタッフとして役割を担い、経験と苦労を積み重ねて徐々に仕事の中心を担うまでになり、感激や感動を積み重ねることです。要は「渾身満力」の生き方を貫くのです。「桃栗三年柿八年」・「石の上にも三年」など、昔から先人が教えてくれていますが、私は自分の仕事を天命と受け止め、5 年、10 年、15 年、20 年と貫き続ける過程で、人物が渋く輝き始めると思っています。
ありがとうございました。
さて、大好きな高校野球も毎日が熱戦でした。今年は創設100年の記念すべき大会で、出場校関係者や郷土の皆さんも応援に熱が入ったものと思います。優勝は神奈川の東海大学付属相模高校が、仙台育英高校を破り45年振り2 度目の栄冠でした。
東海相模が 6 点を先攻しましたから、勝負が前半で決まったと思っていましたら、後半仙台育英が同点に追いつくなど、いい試合でした。我が社には東海相模の OB が 2 名在籍していますし、お客様や私の個人的な知り合いも何名かいますので、何よりも、優勝おめでとうございます。それにしましても、早稲田実業の清宮選手と関東一のオコエ選手については、大リーグのスカウトがTVのインタビューを受けて、『数年前に引退した松井選手とイチロー選手のような逸材だ』と、折り紙を付けていました。先が楽しみですね。
日本代表にこの二人も選ばれた 18 歳以下の世界大会が、月末に開催されるとのこと、どんな活躍をしますか、マスコミが大騒ぎするものと思います。
*表題の「生き方」については、コラム〔第854回〕・2013-02-07 に、月刊誌「致知」による佐藤一斎の「言志録」に学んだと書いていますが、読み直してみましたが、中々秀逸で我が社の社員や世の多くの方々に知っていただければと思い再編集しました。
*〈人は真剣に考える必要がある。『天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。自分はすでに天の生じたものであるから、必ず天から命じられた役目がある。その役目を謹んで果たさなければ、必ず天罰を受けるだろう。』と、このように省察すると、うかうかと生きることでないことが分かる。〉・・・では、天役を知るにはどうするか。「致知」では過去に登場した先人に思いを馳せ、三つの資質が浮かび上がったという。
*一つは、与えられた環境の中で不平不満を言わず、最善の努力をしている人。一道を拓いた人達に共通した第一の資質である。・・・私もその通りだと思います。何事もコツコツやっていけば、人生に成果ありだと思います。
*二つは、「他責」の人ではなく、「自責」の人でありたいものである。幸田露伴が「努力論」の中でこう指摘している。大きな成功を遂げた人は失敗を自分のせいにし、失敗者は失敗を他人のせいや運命のせいにする。その態度の差は人生の大きな差に現れてくる。これは古今東西、不変の鉄則である。・・・私もその通りだと思います。何事も「自己責任」であり、「自助努力」です。そして「自律・自立」の人は成功しています。
*三つは、燃える情熱を持っていること。・・・当時 86 歳だった明治の実業家・浅野総一郎の言葉が滋味深い。心耳を澄ましたい。・・・『世の中は一生勉強していく教場であって、・・歳を取るのは勉強の功を積むことに他ならない。・・・この人生の教場を卒業するのは百歳と腹に決めている。』・・・私も燃える情熱を持つことの大切さは、まったくその通りだと思います。「志」を掲げ前に向かって歩み続けることといつも言っています。ただ、一生勉強とかそれが百歳で卒業などまさに偉人の言葉で、・・・心に留めて置きたいと思います。
*以上が「致知」の要約ですが、まさにその通りで、誰にでも両親があり、色々な育ち方があったのは当然です。『天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか』・・ここが大事でありすごいと思うところです。親の愛情により産んでくれたわけですが、親もまた天の命を受けていたわけで、この世に親子共々天の命を受けていたとすれば、うかうか、いい加減な「生き方」はできないと言うことです。・・・社員の皆さん、我々の天命は、親孝行と建築創りです。自信を持って「一途・一心・一貫」に邁進しましょう。
ありがとうございました。
*朝食後、午前 9 時 30 分、一路富良野地方に向かってスタートです。午後 4 時に旭川空港から羽田に向かってフライトの予定ですから、3 時には空港の側にあるレンタカー乗り捨ての拠点に到着しなければなりません。それまでの数時間を有意義に過ごすのが今日の目的です。北海道は広大です。道央・道南・道北・道東のエリアに分けるとすれば、函館の道南方面から札幌・小樽・余市の道央を通って富良野・旭川の道北などの一部を駆け足で走るという旅なのです。
・美瑛と富良野は隣りの地域で、どちらも丘陵と広大な畑の風景は同じで、車窓から緑や色々な鮮やかな色彩の花畑の眺望が延々と続きます。「ぜるぶの丘」など観光地化した農園に立ち寄りましたが、花畑の中をトラクターに引かれた10人乗り簡単客車2両が走り回っているのです。トラクターが農作業ではなく、客を乗せて働く姿はどこか不釣り合いであっても、子ども達や外国人が楽しんでいるのは、夏の富良野地方独特の風景とのこと、なるほど。この他、耕運機やゴルフ場の電動カートもお客を乗せて短い夏を大いに稼いでいるのです。ラベンダーの美しい紫は季節を越え無残にも灰色でした。
・午後 1 時・美瑛町の青い池は神秘的、幻想的との伝えで有名ですから、立ち寄りました。ここにも大勢の観光客が集まっていまして、日本語、中国語、韓国語などが飛び交い、まさにこれは国際観光地です。人が多いことで周辺はすでに神秘的とか幻想的ではないのですが・・・。
土手の水位線が下がっていまして、この週間は雨が少なかったことが分かります。確かに池の底が青く陽を受けて青く輝く感じです。青い池が青く見える理由とは『上流の温泉地区で湧出している「白ひげの滝』などからアルミニュームを含んだ水が、美瑛川の水と混じることによりコロイドが生成される。太陽光が水中のコロイド粒子と衝突し青い光が散乱するため、青く見えるとのこと。』・・・池の側の解説板をメモってきました。
・昼食は無農薬野菜と無添加を売りにしているビールを置かない小さなレストランで、自然食を美味しくいただきました。こうしたレストランも晩秋から閉店となるのでしょうか、夏の富良野地方は気温 25 度で湿度も低く凌ぎ易いのですが、厳しい冬を想えば大変なことだ思います。しかし、別の見方をすれば、美しい花畑や夏の恩恵は厳しい冬があればこその自然の循環かとも思えます。
*レンタカーを返して午後 3 時 30 分・予定通り旭川空港です。羽田空港に午後 6 時過ぎに到着でしたが、JALの J クラスという進化したシートで、くつろぎ易く大変快適でした。
今回の旅は今年の正月から予定していまして、娘夫婦に旅行の全行程の組み立てをお願いしました。レンタカーの運転も娘婿に約 1800 ?の走行をお願いし、ご苦労をおかけしました。心からお礼を申し上げます。すばらしい旅を楽しむことができました。ありがとうございました。合掌。
余談ですが、会社の若い方々も折々に休暇を利用し、旅に出かけてください。旅の後、また創作の意欲が湧き出ると思います。
ありがとうございます。
]]>*8 月 6 日・海に面したホテルの部屋からは、夜が明けていくのが刻々と分かります。早起きの私はどちらの街に旅行をしても、早朝にホテル周辺を散歩します。今朝は妻と共に出かけました。かって同志社大学を創立した教育者の新島 襄が鎖国の禁を破って、ここ函館の波止場から、沖に停泊するアメリカ商船にたどり着き、密出国に成功した歴史の話は有名です。1864 年 6 月 14 日夜、海外渡航して昨年で 150 年となり、これを記念して、等身大のブロンズ像を波止場に建立したとのこと、「大志をいだいて、はるか海の向こうを眺めている像」が、朝陽を受けて輝いていました。確かに、新島 襄が帰国してからの日本は明治時代となり、どんどん変化発展してきたわけですが、「国づくりは人づくりから」・教育者としての新島 襄の活躍は偉大で忘れてはなりません。
散歩は新島 襄のブロンズから赤レンガ倉庫群周辺を一回りしました。朝食後、有名な函館朝市に出かけましたが、新鮮な魚介類や加工品、果物や野菜など溢れんばかりの商品で、地方都市の商品の豊富さと商人の元気さに圧倒されました。
*午前 10 時・高速道で一路余市まで、札幌、小樽へは夕方に戻りますが、まずは通過して余市です。余市まで3時間の走行でしたが、平日でありお盆前ということでしょうか、走行車が少なく、直線道路で前も後ろにも車影が見えないなどが時々ありました。
・午後 1 時・にしん御殿と言われている青山別邸は、小樽の貴賓館と言われていますが、にしん漁で巨万の富を築きあげた青山家が、大正 6 年から 6 年ほどかけて建設したようです。一つの視方ですが、北前船で運ばれてきた素材〔建材〕と職人さんたち〔宮大工〕の匠の技で、北海道の手法ではなく、関西の粋をまねたと思える贅の数々を取り入れていると思えます。
庭園の片隅に、作詞 なかにし 礼・作曲 浜圭 介・唱 北原ミレイ による「石狩挽歌」の歌碑がありました。・・・「海猫が鳴くからから ニシンが来ると 赤い筒袖のヤン衆がさわぐ・・・」昭和 50 年のヒット曲。
・いよいよ余市です。昨年の 9 月から今年の 3 月まで、NHK朝ドラマで人気のあった「マッサン」の里、ニッカウイスキーの余市工場です。これだけ広大な余市工場をあの時代に良くも造りあげたものと感嘆しました。ドラマの影響で竹鶴 政孝とリタ夫婦への関心も深まり、一昨年は 1 年間で 28 万人だったが昨年は約 40 万人、今年はさらに増えそうだと思えるのは、駐車場には観光バスが 10 数台、外国人観光客もすごいのです。広い構内ですが、午後 4 時を過ぎても数百人が散策を楽しんでいました。確かにあの時代に、美味くて個性的なウイスキーを創ろうとした、リーダーである竹鶴 政孝の情熱と叡智を知ることの価値はあると思います。
・午後 5 時 30 分・小樽赤レンガ倉庫群を散策、運河沿いの遊歩道には戦争反対を歌に寄せて訴えるグループや、灯篭を流す準備をするグループなど、川面に映る風情はやはり夏だと実感しました。
・午後 7 時 30 分・予定していた札幌のイタリアレストランで食事の後、札幌の市街地央で豊平川を見下ろす超高層ホテルに着いたのは午後 9 時 30 分、今日も知らないことを沢山知ることができました。楽しいことは明日も続きます。
ありがとうございました。
*8 月 4 日・午後 3 時 30 分・三内丸山遺跡・ガイド運転手さんの話ですが、20 数年前に県営野球場を新しく建設するために着工すると石器や土器が出土した、当時の県知事は急きょ県営野球場建設を中止し、発掘調査を指示したのが平成4年。縄文時代前期から中期〔約 5500~4000 年前〕の大規模な集落跡が見つかった。
たくさんの竪穴住居跡や掘立柱建物跡、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨格製品などが出土した。青森県は遺跡の重要性から、平成 6 年に遺跡の保存を決定した。平成 7 年から遺跡の整備と公開を行い、「縄文時遊館」を開館した。平成 12 年に国特別史跡、平成 15 年には出土品 1958 点が重要文化財に指定された。・・・なるほど、ここで縄文時代の「ムラ」を体験できる公園として整備が続いていますが、東京ドーム5つ分位の広さですが、県営野球場の建設は見送られましたが、世界遺産に申請するほどの遺跡文化を身近に得た県民は幸せだと思いますが、当時の県知事の英断はすばらしいと思います。詳しい遺跡の説明は字数により控えますが、これは多くの方々に直接、悠久の里を訪問いただくことが良いのではと思います。
*ねぶた祭り・陽が沈んだ午後 7 時に号砲が鳴り、待機していた 20 基ほどのねぶたが、決められた運行コースを午後 9 時まで順次ねり動くのです。一基のねぶたチームには、扇子持ち・手振り鉦・笛・太鼓・ねぶた・跳人と 100 mほどになり、大太鼓 5 基と笛と鉦が元気の良い跳人の 100 人ほどの、「ラッセラー・ラッセラー」のかけ声共々夜空に響きますが、沿道の観ている者の脳天にも強烈に響きました。これが 20 基ほど続くのです。大型のねぶたは一年かがりで仕上げるようですが、この色づけと電飾の美しいこと ! ねぶた師のアート感覚は実に見事です。
* 8 月 5 日・午前 9 時 30 分・青森港フェリー乗り場・昨夜は浅虫温泉に宿泊、同行の娘などはねぶたの笛・太鼓・跳人の「ラッセラー」などが体から抜けず、興奮により中々眠りに入れなかったとのこと、言われれば私もそんな感じでした。
津軽海峡フェリー・昨年就航した新型「ブルーマーメイド号・8820 トン・定員 583 名・乗用車 230 台」で、函館港まで 3 時間 40 分、海底トンネルで列車で行くと 1 時間の短縮ですが、左に津軽半島、右に下北半島を眺めながら、少しばかり船酔いしたかなと思いましたが、空は青く晴れ渡り波静かな船旅を満喫しました。
*函館港に着いたら、予約していたレンタカー会社の方が迎えに来てくれていました。手続きのあと、これから 2 日間はレンタカーで移動します。
・午後 2 時 30 分・大沼公園のだんご屋「沼の家」。一月前の北の旅に思いを寄せていた頃、TVの旅番組で紹介された店で、明治期の後半頃、開拓で働く人々にふるまっただんごとのこと、脈々と歴史を刻んで営業している店は、老齢の店主で3代目であり、昔からの製法を守っているとのこと、昼食を抜いていた空腹のところで、実に美味かったです。
・午後 3 時 30 分・昆布館→五稜郭→坂の町函館を代表する坂道は二十間坂→八幡坂を歩く。途中「函館ハリスト正教会→旧函館区公会堂と周辺を散策。明治 43 年に完成した公会堂は、木造洋館ですが確りした建築で、当時の棟梁や建築関係者の心意気が伝わってきました。
・午後 7 時 30 分・陽が沈み、いよいよ函館山の展望台です。百万ドルの夜景という表現は、熱海温泉の夜景であったり、香港の丘からの夜景であったり、夜景の美しい所は数々あるのは事実ですが、函館市とその近郊を一望できる展望、両側を海に囲まれた独特の地形が街と海の明暗となり、何とも美しいのです。夜景を楽しむなら私はここが一番だと思います。もう一つ驚いたのは、展望台に集まってきていた数百人の人々は、日本人よりも中国人などの外国の方々の方が多かったように思います。外国の方々がここまで足を延ばすのは日本を知っていただくことにおいては素晴らしいことだと思いました。街で夜食を楽しみホテルに着いたのは夜も 10 時 30 分。さあ明日は小樽から余市です。改めて、眠りの前に感じたこととは、旅とは「百聞は一見に如かず」であることの感動を・・・。
ありがとうございました。
*さて、表題のことですが、8 月 4 日の朝出発し、7 日の夜帰宅という行程で北の旅を楽しんできました。
* 8 月 4 日・東京駅・午前 9 時 36 分・東北新幹線はやぶさ 11 号が静かに発車です。10 両ほどの先頭にグランクラスという 50 ほどの席がJRの新しい売りで、飛行機のファーストクラス並みであることを、前々から聴いてはいました。再び北の旅ができるかどうかと思える歳であるわけで、東北新幹線に初めて乗るならぜひともこの席にという願いが叶いました。実に快適で、飛んでいく外の景色を観るのをあきらめ、新聞や小説を読んでの 3 時間、あっという間に新青森に到着です。
*軽い昼食の後、新青森駅前に「青森市文化交流施設・ねぶたミュージアム」があり立ち寄りました。コンクリートの外壁から2mほど離れたデザイン線に、幅 30 ?ほどの平鋼をルーバー状に立てかけレンガ色に塗っているのですが、内部のデザインも含めて中々出色の建築です。この日の夜に壮大に繰り広げられる「ねぶた祭り」を観に来たわけで、その基礎知識を学ぶには格好の施設です。
*「ねぶた祭り」は陽も沈む夜 7 時に号砲がなり、決められたコースを 22 基ほどの創作ねぶたが動き出すとのこと、まだ陽が高いので市内を散策しました。駅前で乗ったタクシーが、ガイドタクシーとのこと、親切な運転手さんが案内してくれました。
・青森市中央市民センターは、47 年前に勤めていた岡設計でスタッフの一員として関わった仕事です。これぐらいの年数になると、新しい時代についての機能的な役割が足りないとか、耐震診断をすれば強度が少し足りないとかで、建て替えられている公共建築も全国には多いのです。所在地も忘れていましたが、運転手さんが案内してくれました。不安でしたが市民のカルチャー活動のために使われていました。外装の傷んでいるところどころは、改修されていましたが、原型を確認し感動しました。
・ここから徒歩数分のところに、棟方志功記念館があり立ち寄りました。これほどの版画芸術家は青森の宝であること、その通り・・いや日本の宝だと私も思います。説明によると、棟方は自分の版画を板画と言っていたようです。板が躍り出し話しかけるそうです。創作板画の一枚一枚に仏教の哲学を込めているとのこと、すばらしい !
・13 年ぐらい前のことですが、当社で働いていた青森市出身の鳴海 剛士さんが故郷に帰って親の世話もしなければならない。市の職員採用試験を受け合格したので故郷に帰るとのこと、鳴海さんはどうしてるかなと突然の思い付きですが、連絡もしないで市役所に出かけるぶっつけ本番の無謀 ? 会えれば幸運・・建築指導課で元気に働いていました。聞くところによると、数年前、先の青森中央市民センターの耐震診断と改修を担当したとのこと、なんと奇遇だしうれしいことか、ここでも感動しました。
*さて、これからが旅の本番で、三内丸山遺跡から「ねぶた祭り」、翌日はフェリーで函館に渡り大沼公園の「沼の家のだんご屋」、昆布館から五稜郭とか市内、夜は函館山の展望台から美しい夜景を、次の日は小樽から余市で朝ドラのマッサンとリタに再会し札幌泊まり、最終日は旭川方面で青い池や富良野の花畑など、盛り沢山ですが、函館からレンタカーで走行すること約 1800 ?、東京の暑い気温が 37.5 度とのニュースを横目に北海道は 25 度、気持ちの良い楽しい旅をしましたが、次回のコラムで書くことにしますので、また読んでください。
*竣工報告・昨年設計していまして、今年の 2 月に着工しここで完成しました、小田急線中央林間駅前の、「社会福祉法人 曙会・あけぼの保育園」の竣工式が、8 月 8 日に執り行われました。理事長の日高 辰夫様は 87 歳の高齢ですが、お元気そのものです。過去に学校法人による幼稚園を大和市内と相模原市内に 2 園建設され、設計を担当させていただきました。理事長曰く、幼児の「教育と保育」を偏らないで進めたいとのこと、学校法人と社会福祉法人の両方を運営し、こどもの成長と保護者の安心を実現するなど、見事な社会貢献であると思います。長いお付き合いの日高理事長との出会いを思い改めて感動しました。会には甘利経済再生大臣も出席され、花を添えてくださいました。
ありがとうございました。
]]>コラムの前に、一言お悔みを申し上げます。 弊社上席執行役員・伊佐地〔伊藤〕陽子のご尊父、伊佐地 邦治様が病気療養中のところ、大変残念でありますが、去る平成 27 年 7 月 13 日に逝去されました〔享年 72 歳〕。謹んでご冥福を祈ります。同時に、奥様はじめご家族の皆様の哀しみは、察するにあまりあります。葬儀はご近親者で密葬として行われました。
故 伊佐地 邦治様は、日本の合唱音楽界で指揮者であり編曲者として、また、長年指導者として活躍されてきました。後日、「偲ぶ会」を、指導してきた合唱団の企画で実行するとのことでした。
*平成 27 年 7 月 27 日〔月〕午後 7 時から、JR 市ヶ谷駅から徒歩 7 分、「ルーテル市ヶ谷センター 音楽ホール」において、『伊佐地 邦治さんを送る会』が、合唱関係者や友人など約 300 名ほどで厳かに執り行われました。弊社からも役員など 7 名が参会させていただきました。参会者全員の献花のあと、美しい花で飾られた遺影の前のステージには、故人が指導してきた合唱団が整列し、「翼をください」など 8 曲のハーモニーがホールに響きました。最後に奥様が挨拶に立ちました。「早く逝ったのは残念だけれど、音楽一筋に生きられて幸せだっただろうと、また、こんな美しい調べによって送られて感激した」と涙ながらに御挨拶されました。すばらしい送る会に私も感動でジーンときました。安らかにお眠りください。
*さて、表題のことですが、日本が世界に誇る大企業である東芝のことです。この一ヶ月、新聞やTVニュースなどで、すでにご存知の方々も多いと思います。問題はどこにも徳義が見当たらない不正経理の話です。
社歴は 100 年以上であり、明治時代から続く名門企業です。最近の三代に渡る社長が起こした会計不祥事は、大中小の企業において、どこにでもありそうですが、あってはならないことだと思います。名門企業であり上場企業であることは責任重大で、国民は許さないでしょうし、国民の意思を代弁して各メディアも厳しい論調が続きました。一昨日、現社長、会長である前社長、相談役である元社長の三人が辞任しました。他の役員も減給処分とのこと、大きな処分ですが、国民を欺き、世界中の投資家を騙したことは許されないことだと思います。最近アメリカの投資家が、市場から義務付けられた発表されている財務諸表に基づいて、可能性を信じて東芝株を購入したが、不正経理の発覚で株価が下落、大きな損害を被ったとのことで、損害賠償の訴訟を起こすとの報道もありました。
*今期は予想以上に大幅に売り上げや利益が出たので、これでは税金を沢山払わないといけない。来期もこんなに伸ばせるとは限らないので、なにがしかの売り上げの先送りや経費の先取りで、なんとか納税額を減額しようとする行為は、経済小説によくある脱税ストーリです。こんなことは小説やドラマでのことで、現実の経営者は襟を正して決算をまとめているのが事実だと思います。・・・東芝の三代の社長の手法はこの逆です。売り上げや利益が予想したようにあがらないので、部下たちにチャレンジと称して過大な目標や要求を押し付けてきたのです。押し付けられた部下たちが、「不適切」な会計操作を何年も続けてきたのです。誰もが「不正」の臭いを嗅ぎながら逆らえない。・・・「違うけど、社長が言うから、そうですね」・・サラリーマン川柳。
*利益を少なく見せる経理も、多く見せる経理も許されないのですが、過去においても、企業であれ役所であれ、組織に身を置いた人なら誰しも思い当たる苦くやり切れない気持ちを経験した方々もいることでしょう。・・・東芝の経営者は派閥抗争の圧力や経済界への見栄を背に、「徳義のない経営」、無茶な業績達成にダッシュしたところに悲劇が始まったのです。負の連鎖が何年も続けば、どんな大企業でも名門企業でも、即ちどんな大型船でもやがては難破します。
社会の内外の有識者が監査役の役割となり不正を見つけ、役員など人事を一新して再出発をさせることになったのです。「社員が活き活きと働き、投資家も安心して投資できる、優れた製品で社会貢献する企業」に再建させるのが、「徳義のある経営」です。大いに期待しています。
ありがとうございました。
*曽野さん『・・・我が祖国に知恵と哲学を持った人を望んでいるんです。指導者は、我々一般人よりも何かしら賢い人であって頂きたい。多くの政治家がどう見ても、票や権勢のために動いているように庶民は思っている。・・・だから知恵のある賢い人でないと困る。最低でも見え透いた愚かなことをしない人。』
*橋本さん『「国民目線」という言葉に、私は違和感を覚えます。普通の国民が考えないことを考えるのが指導者でしょう。国民目線に従わなければ政治家じゃないというのは「ポピュリズム・大衆迎合政治」です。』
*私の意見『政治や政治家のことを言っていますが、これを私達の身の回りに置き換えて考えて見ると、どんな会社のどんな部署のリーダーでも、智恵を出し、勇気を出して行動することが何より大切です。その意味で、リーダーには哲学を持った賢い人であってほしいと思うことに賛成です。経営陣も建築士もリーダーです。・・・確かに、政治については、国民の意見や意向を知ることは大切なことですが、大衆迎合と言われるように、大衆の流れに乗っかるばかりの政治では主体性が無く、国の舵取りとしては心配です。・・・専門職の目線については上から目線などは論外として、素養と知識を前提にして、お客様の要望を受け止めて咀嚼して、全体のデザインを進める必要があります。お客様の目線、子どもの目線、障がい者の目線、お年寄りの目線など、迎合だではなく、優しく融合と分別をする判断が大切だと思います。』
*曽野さん『私達は賢さからも愚かさからも学べます。この頃、国民は不勉強です。私は戦前戦中の無茶苦茶な貧乏を知っていますから、何でもないのですが、今は沢山の人達が、「バブルしか知らない」「バブルがはじけてからの日本しか知らない」という人さえ出てきました。・・・偏ってしまったんですね。お嬢ちゃまとかお坊ちゃまになったから、これをなんとか是正しないといけない。私は各県に未舗装の道を 10 キロぐらいずつ残して、修学旅行の時、そこを走らせたいのです。スコップを積んでおいて、何かあったら土木工事をさせるんです。』
*橋本さん『舗装の下に土があるということが分かるかどうかですね。』
*曽野さん『それが分からないんです。みんな、地球ができた時から、舗装されていたと思っているんです。』
*私の意見『大作家の先生は極端なことを言いますね。私は中高生の 90 %以上は舗装の下は土であることぐらいは知っていると思いますが、物事は表層だけではなく、何事も重層になっていることを、子ども達に教えることについては良いことだと思います。物の仕組み、生活の仕組み、社会の仕組みなどを一歩踏み込んでほしいものです。』
*建築は重層そのもので、責任重大な厳しい仕事です。軟弱地盤に対処し、基礎工事から仕上げ工事まで、技術的なことや法的なことを網羅することと併行して、美しくて強靭な建築を経済的に創るのです。取り組みは厳しい、甘くない ! しかしやり遂げた「達成感」は半端なもんではない感動が待っています。人生と建築を相互に厳しくみつめ、楽しい生活を築きたいものです。
ありがとうございました。
]]>*コラム〔第843回〕2012-12-13・で、本田宗一郎と松下幸之助の語録から学んでいます。当然のこと二人は近代日本が誇る産業界の偉人です。全国の街の道路にはホンダの自動車やオートバイが走っています。それは 3~4 台の内 1 台はホンダであるほど売れていると言うことです。また、全国のご家庭ではパナソニックの電化製品が生活を支えていると思います。因みに私の身の回りには、電気カミソリ、ファクス、炊飯器等何点か役に立っています。
*二人はすでに故人でありますが、その後故人となってからも、何代も社長が変わっても脈々と創業の精神が引き継がれ、代々社業を発展させた上で、社会貢献していることです。創業の精神がブレることなく社業に反映し、故人の語録が多くの方々に今なお語りつがれているのは、偉大であり偉人であるところです。
*社業は順調なことばかりではありません。パナソニックは 2012 期〔−7721億円〕と 2013 期〔−7650億円〕の連続赤字で、2 期で約 1 兆 5 千億円もの損失を計上したのですが、役員、社員は乗り越え、今では再びの成長路線を歩み始めています。
ホンダは昨年のアメリカでのエアーバッグ〔タカタ製〕の不具合でリコールし、過去にさかのぼり何百万台になろうか ? 無償取り換えとなり、取り換え費用の損失ばかりか、欠陥車イメージは新車販売の不振にもつながりました。それでも役員、社員は乗り越え、さらに安全で優れた車を生産しようと歩み出しています。
*二人の偉人から「ものつくり」の語録を学ぶことにします。
*本田宗一郎・語録・『いいものをつくるには いいものをみろ』・・・私の解釈ですが、これは奥が深い言葉だと思います。若い方々に踏み込んで考えてほしいのです。自動車のデザインをするには、「世界の他社の多くのデザインを視て分析せよ!」は専門職としては当然ですが、本田さんは『人間社会の全てにデザインのヒントがある。色々な工業デザイン、陶芸、絵画、服飾、生活用品、例えば、ナイフやフォークなどの食器、花器や壺など「いいもの」のいたるところにデザインの要素がある。』と言っている ? 私の代弁ですが・・・。
*松下幸之助はつまずくたびに、「学ぶ」ことで活路を見出した。幸之助は晩年『僕は、知識も健康も力もないしな、ケンカしたら負けるし、弱い男や。それが今日あるのは、自分の才覚は少しはあったとしても、その才覚の前に他人の意見を、いいなぁと思うものは素直に取り入れたわけやな。それで今日の成功があると思うんや。』・・・幸之助の「学び」はとてもシンプルです。「自分は『何が解らないか』を解り」、その上で「自分が『学ぶべきこと』を理解し」、そして「それを『教えてくれる人』を探り当てる」という一連の思考と行動を丁寧にやり抜くのです。・・・幸之助は「経営の神様」とか目端の利いた・・・順調に事を運ぶタイプではありません。むしろ「失敗」してばかりの「凡人」でした。ただ、その「失敗」を「学び」続けることにより、最後は成功に結び付ける。このことに関しては「名人」でした。
*想えば、余談ですが私の過去のコラムで「負けて 勝つ」ことを書きました。背景、環境、世界や大きさなどは勿論違いますが、コンペやプロポーザルに 43 年間で 300 回近く指名され参加し、約 80 回ほど入選採用いただきました。言わば 200 回以上負けたわけですが、その負けの分析と反省を社員共々次につないだ道のりだったと思います。・・・改めて人生は『どこからでも 何からでも学ぶ』、なにくそ !「負けて 勝つ」ではないでしょうか。
ありがとうございました。
]]>2012-11-25〔第838回〕で表題のことを書いています。当時の婦人公論編集長・三木哲男さんのコラムを読んでの感想でした。
*「人と情報が寄ってくる編集者」の話でした。『言うまでもなく、編集者の財産は人脈です。そして最強の編集者には「人と情報が寄ってくる」のです。そういう編集者はどのような人物なのか。よく、「できるビジネスマン」などのビジネス書に、人脈づくりの上手いビジネスマンは、多くの人々と「ギブアンドテイク」で付き合っていると書いています。つまり、相手から貰ったら、必ず返せと。貰いっ放しではいずれ人は離れていく。・・・その通りではありますが、本当に「人と情報が寄ってくる編集者」は、実のところ「ギブアンドギブ」なんです。・・・ライターや作家が講演をすれば休日でも必ず出席しますし、何か調べものがあれば必ず協力します。「ギブ」することに喜びを見いだしているのです。「ギブ」とは何でしょうか。お金やプレゼント、情報もありますが突き詰めると、私は時間だと思います。相手にどれだけ自分の時間を割いてあげられるか。プレゼントするにしても、それを用意する時間に価値があります。自らの睡眠時間や休みを削ってでも時間を提供できる人に、人は集まってきます。それなりの時間が熟成されたあと、結果的にテイクがびっくりするぐらいのものになって返ってきます。本誌に掲載する時折のスクープは部員のもたらした成果で、言わば部員による「ギブアンドギブ」によるものです。本人たちは苦労だと思っていません。むしろ、楽しく躍動的な毎日を過ごしているのではないでしょうか。・・・教育評論家の水谷 修氏が、「一日一つでもいいから、人のために生きてみろ ! そうすると生きることが楽しくなる。と言っています。「ギブ」で生きている人には、私などとは違った世界が見えているのだと思います。想像でしかありませんが、その世界はとても人間的で信頼に値するものではないでしょうか。』・・・これは当時の三木編集長の原文に近い要約です。
*これを読んだ時、これは雑誌編集者だけの特殊な世界のことではなく、どんな職業の仕事の世界でも同じで、いや特に私達の建築設計の世界に通じるものがあると、思ったのです。
建築事業主〔施主〕には「ギブアンドギブ」で、時間のある限り、自分の持っている知識と知恵、調査による情報、その周辺の資料などトコトン提供することですし、尽くすことなのです。社内においても、先輩や後輩に係らず「ギブ」していく心意気が大切です。想えば、ギブしてギブしていく生き方は、結果的に大きなテイクなることを 74 歳の私が体験しています。
*論語に『己の欲せざるところは、人に施すことなかれ』という教えがあります。・・・自分が嫌だと思うことを人にするなというわけですが、これをあの明治時代の経済界の重鎮・渋沢 栄一さんが、これを逆に使い、「汝の欲するように、人に対してもやりなさい」があります。「自分がやってもらいたいことを人にしなさい」と言っているわけで、これは孔子による「恕」であり、前回にも書きました「利他の心」です。
「ギブアンドギブ」は編集者の生き方の極意だけではなく、建築設計者・建築士の大切な指針でもあるし「不易」と考えます。
*7 月 11 日〔土〕午後 1 時 30 分・藤沢市民会館において、「新老人の会」主催による神奈川支部フォーラムに参加しました。第一部は聖路加国際大学名誉理事長・日野原 重明 先生の 「103 歳記念講演会」で、1500 人の会場は 60 歳以上で70歳台の方々が一番多く、〔男女比 3:7 ?〕お年寄りの聴衆者で満席でした。長寿日本の中で、私達は特別養護老人ホームなど老人関係の施設創りをしていますが、介護レベル 4~5 の方々で平均年齢が 77 歳から 80 歳あたりだと思いますが、そうしたお年寄りを大勢見てきましたが、その視点からすると、講演者の日野原 先生は 103 歳、今年の秋には 104 歳とのこと、まさに超人的なお年寄りです。1500 人の前で大きな声で笑わせたり、なるほどと思わせる話をするのです。演台に手を添えていますが 30 分は立ったままでした。
演題は「出会いから学ぶ」で、『人間の社会はとにかく人と人の出会いから始まるし、出会いを大切にした者が幸せな人生を送ることになる。出会いとは様々で、良き師との出会い、良き友との出会い、良き伴侶との出会い、良きお客様との出会いなど、老若男女問わず、学校で、職場で、地域で、どのレベルでも大切にした者が幸せになる。』・・・まったくその通りで賛同するところです。私達は創業時代から、「因なくして可なし」を大切にしてきました。これはやはり人と人の出会いのことで、因縁とか縁こそ、人の可能性を育むという教えで、日野原 先生の教えと同じです。
*第二部は「小田原少年少女合唱隊・成人男女のコーラス・新老人の会のコーラス」の三世代の歌声を聴き感動しました。コーラスは歌い手の皆さんが心と気持ちを合わせ、相当な練習をしてきたのでしょうか、日本の歌、外国の歌など 20 曲ほどに感動しました。最後は「花は咲く」を客席と一体になって合唱しました。
ありがとうございました。
*想えば、3 年前の月刊誌「致知」の「巻頭の言葉」を担当していたウシオ電機会長・牛尾 治朗氏の話で、実際の題は、「明なれども察に及ばず 寛なれども縦に至らず」でした。
『楽観主義と悲観主義について、楽観主義とは困難な現実の中でも、最後まで達成する意志を捨てない人の生きる道を示しています。しかし、いささか現状認識が甘く、状況把握の詰めが足りないという欠陥もあります。一方、悲観主義は困難な現実、厳しい未来を正しく透視する冷徹な目を持っていますが、未来への眼は暗く、具体的に挑戦する意志に乏しいとも言われています。・・・リーダーは楽観主義と悲観主義の良い面を併せ持って、確固たる意志を持って人を導いていかなければなりません。』・・・この教えに賛同し、当時の私は建築家・建築士もこのような考え方と生き方が必要だと書いたことを憶えています。
*続いて『「外寛内明・がいかんないめい」について説いていました。・・・他人には寛大に接し、自分に対しては明晰に厳しく省みるという姿勢です。・・・楽観主義者は寛大なリーダーになることが多く、部下に対して放縦〔ほうじゅう〕な結果を生むことがあります。悲観主義者は明晰なリーダーとして、現状を的確に把握する能力を発揮する一方、部下の動静を厳しく管理し過ぎると息苦しさを与え、組織の活力を奪ってしまうことがあります。
帝王学の書に、「明なれど察に及ばず 寛なれども縦に至らず』と、説かれているとのこと。・・・なるほど、物事はすっかり分かっていても、細かいところはあまりとやかく言い過ぎてはいけません。また、寛大であっても締めるところは締め、放縦に任せてはならないと言う戒めです。』『明にして寛』、まさにリーダーの心すべき教訓です。
*先日のコラムで、「キッズデザイン賞」に入賞したことを書きました。7 月 7 日の七夕の日に前々から暑気払いを社内でやろうと企画していたわけですが、この日に受賞祝いと、来春入社予定者に内定通知を渡すことになり、社員全員で二つのことを祝うことができました。社内のキッチンやテラスで若者達が美味しい手づくり料理を調理してくれました。多くの人に美味しいものを食べてもらおうとする気持ちが入っていることが解りましたましたし、彩も良く実に美味しかったです。なんとも楽しい夏の一夜でした。おめでとうございました。そしてご苦労様でした。
*昨年や今年の春に入社した若者も、先輩たちの指導により社会人としての見識が確立されてきたと思っています。それは、「利他の心」を養い、まずは他人のために働こうとすることです。建築設計を職業にする者こそお客様のために最善を尽くし、その建築が社会のお役に立つという意識を持つことが何よりも大切なのです。そのためには、技術力・デザイン力と併行して人間力を磨かねばなりません。それは、「志」を立て強い意志で継続していくことです。甘いことではありませんが、その道程の後にすばらしい感動や感激を体験することなのです。それは今年の「キッズデザイン賞」を担当したチーフやスタッフ達の姿なのです。先輩を見習うべき道に歩み出してほしいと願っています。
ありがとうございました。
]]>2008 年に米ウォールストリートジャーナル紙の「最も影響力のあるビジネス思想家トップ 20 」に選ばれた一人です。・・・当時の私はこの論理はすばらしいと感激し、社員と共に共有したいと思ったのでした。読み直してみましたが、3 年後の現在でも色あせることなく、これは建築士もリーダーとして、最も大切なことと思いましたので、改めて編集することにしました。
*・・・リーダーの資質を具体的に挙げてください。・・・六つの能力からなると考えます。
? 「善い」目的をつくる能力。
? 目的を共有する場を適時につくる能力。
? 現場を直視する能力。
? 直視・直感したものを概念化する能力。
? 概念を実現する政治力。
? 上記の ?~? の能力を他者にも広げて「集合知」を創り出す能力。
*要するに、『理想をしっかり持ち、それを現実の場でメンバーと共有する一方、現実を直視し、言語化した上で実践すること。さらに、その営みを組織皆の「実践知」に高めることです。』と野中先生は述べています。
*私は読んでいて感動しました。私達も創業して44年、経営者だけではなく、建築士は皆、「ものづくり」のリーダーであるべきだ、という意識で活動してきたのです。
? 質の高い建築を創ろうと活動を続けてきました。 ? それを共有するために働き易い職場にしようしてきました。 ? 社会に必要とされる建築は何かと考えてきましたし、そのために行動してきました。 ? 色々と市場調査もしましたし、事業主と行政をつなごうと努力しました。 ? 実績を知っていただくために作品集を定期的に編集してきましたし、市販の雑誌にも掲載していただきました。 ? ゼミナールを開催したり、直接作品を視察いただくことを常としています。 ? 公的なコンクールに応募して、複数の有識者よる審査と評価をいただくことを常に目標としてきました。
*おかげさまで、こうした成果の一例として、〔千の37〕で書きましたが、昨年から今春に完成した幾つかの作品が、海外デザイン誌に掲載されたり、一昨日発表されました、第 9 回キッズデザイン賞に、九つのプロジェクトが入賞したりするすばらしいことが今年は続いています。こうした受賞について、何よりうれしいのは、建築事業主と設計担当者とスタッフ、工務店の皆様などと喜びを共有できることです。
〔キッズデザイン賞の主催者や賞の内容などは、ネットに出ていますから確認してください。弊社の第 9 回キッズデザイン賞の入賞作品名とその写真は、「幼児の城」ブログを参照してください〕。・・・会社経営の永続性と良質な作品を創ることは、終わりのない「不易」な道です。これは代々受け継がれていくべき個々の「志」であり、社是でありたいものと考えます。
ありがとうございました。
]]>*まだ梅雨はあけていませんが、今日から 7 月です。先月末には表記の論語のような楽しい出来事がありました。
*6 月 28 日〔日〕・午後 1 時。鹿児島県阿久根市に昨年から建設していました「学校法人めぐみ学園・認定こども園・めぐみ園」の輿水園長さんを厚木にお迎えしました。輿水園長さんは、学生時代からテニスを愛好されていて、設計打ち合わせの合い間に当社のスタッフとテニス談義が弾んだのでしょう、いつかプレイしましょうという約束が実現したのです。弊社から 9 名が参加し、森の里テニスコートで楽しみました。輿水園長さんはさすがに基礎がしっかりしていますし、かってのテニスプレイヤーの勇姿がありました。私や当社のシニアは年季がありますが皆我流で健康テニスですが、若い者の中には可能性のある者もあり、先々楽しみです。それにしましても、建築事業主と共にテニスプレイを楽しむことができたのは最高でした。
めぐみ園はキリスト教精神で「ありがとう・ごめんなさい・がまん」をこども達と約束し、想像力と発想を大切にしながら保育・教育を進めているとのこと、新園舎が「成長の場」として大いに役割を担ってほしいと願っています。もうすぐ旧園舎の解体と外構工事も完了し、引き渡し完成の予定です。工務店の皆様、職人の皆様、大変ご苦労様でした。設計者としてお礼と感謝を申し上げます。
*6 月 29 日〔月〕・午後 2 時。中国の北京から老人ホーム建設の専門家による視察団 10 名を弊社の厚木本社にお迎えしました。視察団は企画、不動産、設計、機器備品、介護システムなどの専門家で、これから中国の老人ホーム需要に応えたいという方々です。中国はご存知の通り約 13 億人の人口でその約 10 %が 65 歳以上の老人で、日本と同じ高齢社会とのこと。それでも、建設コストに見合う当面の入居対象者は、働いていた時代は高級官僚、医師、事業家など高い入居費用が払える方々のようです。それにしましても、これから相当数の老人ホームの建設が必要のようですが、設計や機器備品、介護システム、介護士の養成について、まだまだ日本から学びたいとのこと。弊社の会議室で実例の映写と説明を約2時間のあと、〔コラム 34 で完成報告をしました「グランモールさくら及川」〕を現地視察していただきました。ホームの事務長さんも大変熱心に説明と案内をしてくれましたことに、心からお礼を申し上げます。その後夕刻には厚木のレンブラントホテルで、中国視察団主催で懇親会があり、ホームの事務長と弊社スタッフ 4 名が招待され、食事をいただきながら中国事情を拝聴したり、日本の事情も話すこともできたと、和気合い合いの中、大変盛り上がったと、スタッフからの報告でした。
*6 月 30 日〔火〕・午後 2 時。四国は高知県の南国市に本部を置き県下各市で事業所を運営している「社会福祉法人 土佐厚生会」の藤田理事長一行 17 名を弊社厚木本社にお迎えしました。土佐厚生会様は特別養護老人ホームや障がい者支援施設でそれぞれ県下で広く手厚く福祉活動を続けて 37 年。創立者や現在の理事長さんの情熱と優しさとその人望はすばらしいとの評判。法人からは昨年、特別養護老人ホームや障がい者施設の建て替えの相談をいただいているわけで、未来に向かっての覚書を締結させていただいているお客様です。法人では毎年職員研修旅行を実施しているとのこと、今年は当社に立ち寄りいただき当社の福祉施設の創り方の話を映写と共に聴いていただきました。感激です。
その後「グランモールさくら及川」を視察いただいたわけですが、前日と同じく、ホームの事務長さんに熱心に説明いただきました。ありがとうございました。その後、横浜に移動され、桜木町から 30 名乗りの屋形船を貸切、美味しい食事と美酒、横浜湾の夜景の美しさを堪能したとのこと、弊社のスタッフ 5 名も招待され、宴会は大変盛り上がったと、スタッフからの報告でした。
*表記の論語ですが、遠方より、鹿児島県阿久根市のこども園の園長さん、中国は北京の視察団、高知県南国市の社会福祉法人の理事長、施設長、介護職の方々をお迎えしました。それぞれ役割と立場には違いがありますが、道を同じくする友達、言わば福祉というジャンルの中で共に学んでよい仕事をしようとする者が話し合い、日が暮れてまた美酒を酌み交わし、団欒を楽しむことができたこと、なんとすばらしいことではないか・・・孔子が笑っているように思います。
ありがとうございました。
]]>*〔第800回〕では、この年のパナソニックの 3 月期決算の発表があり、薄型テレビ事業の不振が響き、税引き後利益が 7721 億円の赤字なった。とする新聞記事を読んで、故 松下幸之助さんが「天で泣いているのではないか」と私は書きましたし、パナソニックは来期から蘇るとも書きました。
今年のパナソニックの決算では、約 7兆7千 億ほどの売り上げで、約 3千8百 億円の営業利益を出したと新聞に掲載されていました。経営陣の頑張りと社員の方々の働きで、見事に復活したのです。・・・今度は故 松下幸之助さんが役員と社員の頑張りに「天でニコッと笑っているのではないか」と私は書いておきます。すごいですね。
*故 松下幸之助さんと言えば、藤沢市辻堂に「松下政経塾」を、 今から 36 年前・1979 年・85 歳の時、未来の日本のために私財を 70 億円を投じて開設したのです。国政、県政、市政など、どの域の政治家であっても、「政治家になるには、政策の勉強よりも人間の研究が先だ」と、常日頃言っていたそうですし、塾の授業は「人間学」中心であることは今でも不変とのこと。人間を磨いてこそ国民・市民のための政治ができる。・・・まったくその通りだと私も賛同するところです。
*これはどの職業にも置き換えて通用します。例えば、「建築家・建築士に成るには、技術・デザインの前に、人間の研究が先だ」と、若い方々に私は置き換えてほしいと思っていることを常々言っています。必ずや人間の成長と共に、技術やデザインも上達し、お客様満足の仕事ができるようになると確信します。
*論語一題・・・『子曰く、君子は義に諭り〔さとり〕、小人は利に諭る』
通訳 : 先生が言われた。「君子はいかにして正義を行うかを考え、小人はいかにして利益を得るかを考える」・・・補足すれば、ここでは男女の別なく、君子とは世間や人間にプラスかどうかを考える人。小人とはつまらない人、自分が得することばかり考える人。・・・建築士こそ、お客様のこと、社会のことを先に考える「徳の人」であってほしいと私は願っています。・・・今までに習った「利他の心」です。
*安岡 正篤師が「利益と義理」について書いています。『義とは実践の法則であり、理とはその理由である。・・・人間としていかにあるべきかの道徳から出ている。つまり、本当の利益とは、義理にかなうものでなければならぬということである。・・・ところが世の中の利害というものは、大抵義理に反して打算にはしっている。』・・・なるほど、ここらあたりが人間の基本中の基本であると当時に書いています。・・・このことも、私のコラム百選に入れておきたいのです。
ありがとうございました。
想えば当時の社会は超円高で株安も加わり、多くの中小企業は不況による八方塞がりの苦境時代であったと思います。当時の金融機関系の小冊子による、読者である経営者や働く社員に対する激励記事であったと思います。・・・3 年後の現在は、円安で輸出企業の収益が改善され、また海外からの来日する旅行者も記録的に増加し、日本の優良な生活商品を爆買しているなどのニュースもあり様変わりです。株式市場も日経平均が 2 万円に乗せるなど、長いデフレのトンネルを抜け出す直前のように思われます。
*よくよく考えて見ますと、働くということはデフレであってもインフレであっても、要は好不況に関係なく取り組むことが必要で、改めて読み直してみましたが、的を射ていると思います。
この内容は、『経営者の学ぶべきことは「広告の鬼」といわれた吉田秀雄・電通四代目の社長が昭和 26 年に定めた「鬼十則」で、時代を超え、業種を超えた普遍の真理である』と、編集者は述べています。
私も毎週月曜の早朝会議で、社員が人物として成長することを願って、これまで 43 年間で約 1700 回ほど、こうした内容を共に勉強してきましたが、『会社を充実させ伸ばすのも役員・社員であり、衰退させるのも役員・社員である。』という理屈は、過去・現在・未来においても「不易」であると確信しています。
会社が大でも中小でも、役員と社員が業務を執行するのは同じです。その視点に立ってこの「鬼十則」は古くても今、やはり新しいと思います。十則を私なりに六則にして少し解説を書いてみます。
*「鬼六則」
?『仕事は、自ら創るべきで、与えられるべきではない。』・・・勿論のこと受注したプロジェクトのチーフやスタッフは会社の幹部が決定するでしょうが、その後の業務推進はチームで個々で相互に、「報・連・相」を基本として、前に進めるのです。これを自ら創るというのです。
?『仕事は、先手先手で働きかけて行くことで、受け身でやるものではない。』・・・日常的にはチーフから指示が出てくるでしょうが、指示を受けてからのことで、あれはどうでしょうか、これはどうでしょうか、ここは私はこのように思いますが、など、先手先手で前向きに提案したらどうかということです。
?『大きな仕事として取り組め、小さな仕事の取り組み方はおのれを小さくする。』・・・お客様から受注するプロジェクトは大も中小もすべては重要です。ものの考え方について大きな視点に立って対処することであると言っているのだと思います。
?『難しい仕事を狙え、そして成し遂げるところに進歩がある。』・・・お客様からの受注するプロジェクトはすべて重要だと前に述べましたが、その中でも、やはり難易度の高いものがあるのは事実です。役員や社員において、ややこしい業務は逃げたい気持ちも解りますが、勿論、その時の担当している繁閑もありますから一概には言えませんが、気持ちとして難易度の高いプロジェクトを、私がやりましょうと言う前向きな者は進歩しますし、会社やお客様の信頼も厚くなるものです。
?『計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる』・・・計画とは、私のコラムで度々書いてきました「志」のことです。その実現のために、中期とか長期の目標を一歩一歩進めることです。
?『自信を持て、自身が無いから君の仕事には迫力も粘りもない。そして厚みすらない。』・・・そうですね。私も自信が何より大切だと思います。簡単に自信は身に付きません。一定の年数もかかります。この間どれだけ勉強したか、どれだけ担当し実践したか、その実践の成果により、感動を度々体験したかにより、自信がついてきます。その自信が人物を大きくしていると思います。さらに自信は大きな相乗効果と言いますか、個々人の満足、家族の幸せ、お客様への良質な業務の提供、社会への貢献など、複合成果を達成することでしょう。
*〔千の39〕で「文質彬彬・ぶんしつひんぴん」について書きました。孔子の時代でも何かをやろうとする時、「生産と販売」について、どのようにすれば多くの人々に知ってもらえるか、と苦心したとあることなど、驚くべきことと書きました。
戦後日本の民主社会であり経済社会において、企業における商品説明でも、行政における施策の市民への伝達においても、人々により多く知ってもらうことは、大変重要なことです。広告宣伝の会社を大きく成長させた、昭和 26 年代の吉田 秀雄・電通社長は大変立派だったと思います。 吉田社長による広告会社社員への教えは、現代でも業種は違っても、働く人々の仕事の進め方について不変であり普遍の真理、と思うのは小冊子の編集者や私ばかりではないと思います。
ありがとうございました。